第7章  因果関係

 

  1 医療過誤事件における事実的因果関係認定上の特殊性

 
 

 一般の医療過誤事件については、因果の流れは患者の身体内部で進行しており、医療行為による身体及び精神反応は千差万別であるし、種々の治療行為が試行錯誤を通じて継続的に繰り返されるという特殊性からすれば原因行為の特定や結果との対応関係が不明確ならざるを得ず、また、医療行為は専門的、技術的且つ試行的という特性を有しているだけでなく、医療の急速な発展に伴う時間的要因を考慮する必要もあり、さらに、治療行為と悪しき結果との関係についての追試が不可能であるし、現在の医学でも未解明な分野が多く存在する等の特殊事情があるので、事実的因果関係の判断は極めて困難であると説かれている<注40>

  2 歯科診療過誤において事実的因果関係が問題となった判例

 
 

 このような事実的因果関係が歯科診療過誤において問題となったものとして、判例【5】がある。

 本判例では、原告は、根管内部を削って拡大する際、・・・

<1> 根管中間の壁面に誤って穴をあけた後これに金属ポストを充填したので右ポストが外れて歯茎に突き刺さり、その結果として歯齦膿瘍等が発生して抜歯せざるを得なくなっただけでなく、

<2> さらに歯齦膿瘍等が病巣感染の主因となりリウマチを発病した、

・・・と主張した。

 本判例は、(1)の因果関係を認めたものの、(2)のリウマチについては、「訴訟上の因果関係の証明は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その証明の程度は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる」として、ルンバール事件に関する最判昭和50年10月24日判時792号3頁と同様の蓋然性説に立つことを明らかにした。

 しかし、リウマチの原因については諸説があり病巣感染説は疑問視されていること、抜歯により膿が出て歯茎の膨らみが全くなくなった後である現在も原告のリウマチが緩慢ながら悪化していることを理由に、前記歯齦膿瘍を原因として発病した蓋然性は推認できないなどとして、(2)の因果関係を認めなかった。

 判例【6】では、無理な抜歯により、・・・

<1> 下顎骨骨折及び骨片の残存が生じただけでなく、

<2> さらに頸部脊椎症又は頸椎不安定症が残存した、

・・・との主張がなされ、被告は右抜歯による直接的傷害である<1>の因果関係は争わなかったのに対し、<2>の因果関係は争いとなったが、患者の頸椎の不安定症等が右手術後にはじめて出現したとする証拠がなく、患者主張の自覚症状は前記骨折及び骨片残存によるものであるとして、裁判所はこれを認めなかった。

 以上のとおり、歯科診療は狭い口腔内でなされるという特質を有し、事後にレントゲン検査等によって判別することも容易であるから、口腔部位における直接的傷害に関する事実的因果関係は比較的認められやすいという特色があるのに対し、過誤による損傷が口腔外に及ぶ場合には、前述の通常の医療過誤事件に関する場合と同様の理由で、事実的因果関係の認定には困難がつきまとう傾向が認められる<注41>

 もっとも、【24】東京地裁八王子支部判平成元年4月26日判タ714号207頁は、抜歯と直接的傷害ともいうべき顎の骨折との因果関係が否定された珍しい事案である<注42>

 本事案は、エレベーター及び鉗子を使用して所要時間1、2分程度の左下8番の簡単な抜歯を受けた患者(原告)が、帰宅後に食事をした際に左下顎に激痛を感じ失神したとして再来院したところ、抜歯部分下部の顎の骨折が判明したので、抜歯の際に骨折が生じたと主張し、その因果関係が争いとなったというものである。

 本判例は、右抜歯の方法及び前記所要時間からすると右骨折が発生するほど過重な力が加わるとは考えられず、抜歯時に使用された浸潤麻酔は下顎骨の下歯槽神経まで及ばないので抜歯により骨折が発生しておれば直後に相当の疼痛を感じていたはずであるが、右患者は前記食事時点まで痛みを覚えた形跡はなく、原告本人の供述には2時間の空白があり信用性がない等の理由により、前記骨折は「抜歯行為後に何らかの事情により発生したものと考えるほかはな」いとして、抜歯との事実的因果関係を認めなかった。