<注1> 植木哲・山口史郎「歯科医師に関する意識調査」谷口知平先生追悼論文集第3巻365頁。同調査によると、紛争解決方法として多いのは、紛争の自然消滅・私的示談・医事紛争調停委員会への委任の順であり、調停は使われておらず訴訟もごく少数であるが、回答した歯科医師全体の約45%が紛争が増加している状況を謙虚に受け止めるべきであると考え、約21%が右増加をやむを得ないことであると考えているとされている。なお、昭和49年から昭和58年までの10年間における大阪府歯科医師会歯科医事紛争処理室で取り扱った歯科医事紛争の総数は1445件にものぼり(岡本欣司「判例と事例から見る歯科医療紛争の実態」20頁)、昭和60年から平成元年までの5年間に東京都歯科医師会医事処理部委員会が扱った歯科医事紛争の総数は159件とされている(天野好「東京都歯科医師会医事処理部委員会」判タ728号275頁)。

<注2> 本領域については、法律的見地から詳細な考察を加えた優れた研究として、菅野耕毅「歯科医療事故判例の総合的研究」医事学研究1号71頁、岡本・前掲注<1>、野田寛「歯科領域における医療事故−判例・学説の動向を中心に−」中川淳先生還暦祝賀論文集332頁等が存在する。

<注3> 菅野耕毅「判例からみた歯科医療事故の実際と対処法」デンタルダイアモンド増刊号12巻8号234頁参照。なお、歯科医師法19条1項は、契約自由の原則を修正し、「診療に従事する歯科医師は、診察治療の請求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」として歯科医師の応招義務を規定する。

<注4> 医療の特質を無視して無理に典型契約にあてはめるべきでないこと等を理由に、無名契約とする説も有力であるが、法的安定性の見地からは、一旦典型契約にあてはめて法文上の解釈根拠を得た上で、当該領域の特質に応じ解釈を修正する方法が妥当であると考えられるので、準委任契約説に賛成する。

<注5> 我国の判例・学説の状況については野田寛「医事法中巻〔増補版〕」393頁以下、ドイツにおける議論については同「歯科医療契約の性質(上・下)」判タ322号42頁・324号51頁参照。

<注6> 河原格「判例評釈」医療過誤判例百選40頁では、本文のような性質から、診療契約については、診療当初は抽象的に病状の医学的解明とその治療がその内容と解されているにとどまる旨が指摘されている。

<注7> 野田・前掲注<2>353頁。

<注8> 判例【4】は、歯科医師が、患者からの、診断書、診療録、レントゲンフィルムの交付要求を拒否したことが不法行為に該当するとする損害賠償請求訴訟が排斥されたケースである。さらに、一般の医療領域とは異なり、歯科診療については、健康保険ではなく患者の自費による自由診療が多いという特色があり、その場合において、その結果たる補綴等が患者の意にそわない場合に患者が診療報酬の支払いを拒絶し、歯科医師側から診療報酬請求訴訟が提起されるケースも考えられるが、判例集等に登載された判例の中には、このような事例は見あたらない。また、厳密には過誤事件とは異なるが、交通事故に基づく損害賠償請求のように、患者と診療報酬の負担者とが異なる場合に、後者が過剰診療等を主張して紛争が発生する場合もある。

<注9> 最高裁判所事務総局編「医療過誤関係民事訴訟事件執務資料」18頁。

<注10> かつては、不法行為における過失の証明責任は損害賠償を請求する側の当事者が負担しなければならないのに対し、一般の契約責任における帰責事由に関する証明責任は、その不存在につき債務者側が負担することになるので、医療過誤訴訟の患者側にとっては不法行為責任よりも債務不履行責任を追及することが有利であると指摘されてきた(加藤一郎「医師の責任」我妻榮先生還暦記念論文集上巻503頁以下参照)。しかし、その後、診療契約上の債務の法的性質は結果債務ではなく手段債務であることを理由に、一般の契約責任の追求とは異なり、医療過誤に関する医師側の不完全履行責任を追求する場合には患者側において個々の具体的な注意義務の存在及びその違反を主張する必要があると解されるようになり(中野貞一郎「診療債務の不完全履行と証明責任」現代損害賠償法講座4巻91頁)、したがって、現在では両責任間の実質的差異は乏しいと考えられている。なお、医療過誤領域に関するものではないが、最判昭和56年2月16日民集35巻1号56頁も、国家公務員が国の安全配慮義務違反により生命・健康等の侵害を受けたことを理由とする損害賠償請求訴訟においては、債務不履行を理由とする場合でも、原告側が安全配慮義務の内容を特定した上、義務違反に該当する事実を証明する責任を負う旨を判示している。

<注11> 注意義務の内容に関しては、一般の契約関係における債務不履行責任の場合、債務者には契約に由来する一種の保障人的地位が存在し、もしくは当事者間では信義則に基づく規範群が支配するという点で、単なる不法行為責任の場合と比べて加重されるものと解されている。しかし、少なくとも医療関係の場合には、医師と患者という特別な関係に入った以上、診療契約成立の有無を問わず、医師が実施すべき診療行為の内容等には基本的差異はなく(塚原朋一「民事責任の構造−債務不履行構成と不法行為構成−」現代民事裁判の課題9医療過誤90頁)、また、その業務の特質からして診療を引き受けた瞬間から患者に対し保障人的地位(刑法218条1項参照)に立つことになるので(賀集唱「請求の構成と挙証責任及び訴訟指揮への影響」判タ686号3頁)、医師の注意義務内容についても、どちらの責任に基づくかによる実質的差異は存しないと考えられている。

<注12> 過失相殺に関しては、不法行為の場合(民法722条2項)には債務不履行の場合(民法418条)と異なり法文上は裁量的であるとされているが、実務上は債務不履行の場合にも過失相殺は必要的であるとして運用されているので、両責任間には実質的差異は存在しない。また、不法行為責任に基づく損害賠償請求の場合は、判例実務上で一定範囲の弁護士費用の請求が認められているが(最判昭和44年2月27日民集23巻2号441頁)、債務不履行責任に基づく損害賠償請求の場合にも、同様に弁護士費用を認めるのが判例実務の立場である。

<注13> 不法行為責任に関する遅延損害金の起算点は不法行為当日と解されており(最判昭和37年9月4日民集16巻9号1834頁等)、この点でも、理論的には債務不履行責任と比べ患者側に有利となるが、詳細については、藤原弘道「損害賠償債務とその遅延損害金の発生時期」民事判例実務研究5巻197頁参照。他方、遅延損害金の率は不法行為では年5分という定率に規定されているのに対し、契約によればこれを越える率の特約も可能であるが、診療契約では過誤の発生を前提にこのような特約がなされることは実際には考えられないので議論の実益に乏しい。

<注14> 賀集・前掲注<S>10頁。

<注15>  判旨中の重要と思われる部分を引用する。

「以下の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。・・・被告は原告に対し、従前のブリッジには色・形という審美面において原告の口腔内における不適合性がみられること、支台歯中の天然歯の歯頚部に齲蝕が発症していることを診断した上、ブリッジを外して支台歯の齲蝕治療を行う必要があること、それを行うと改めてブリッジを作り直して装着する必要があることを説明するとともに、前歯の補綴治療については、固定性ブリッジと可撤性義歯の方法があること、前者は自費治療で高価であるが審美面及び耐久・保持の面で保険診療の対象である後者の方法より優れていること、被告医院では、自費治療によるブリッジ補綴の場合は、セラミック前装鋳造冠によるブリッジしか取り扱つていないこと、セラミック前装鋳造冠ブリッジは、他の材質のブリッジに比べて審美性・精密性・耐磨耗性・耐酸性等において優れており、相当な長期の年数にわたつての保持が保持が期待できること、ただし、補綴したブリッジの保持期間は、支台歯中の天然歯質の寿命及び健康状態に影響されるので、長持ちさせるためにはブラッシング等口腔内の日常的な衛生管理に充分気をつけること、セラミック前装鋳造冠ブリッジの費用は、セラミック歯一本当たり七万五〇〇〇円で、原告の場合は三本を要するので同ブリッジ補綴治療費として二二万五〇〇〇円かかること等を説明した。原告は、セラミック前装鋳造冠ブリッジは高価であるが相当な長期の年数にわたつて保持できる旨の被告の言を信じ、同ブリッジの補綴治療を受けることに同意した。」

「ブリッジは、支台築造及びリテーナーの装着等が確実に行われ、その他口腔内の諸条件に耐えるように設計されていると、外からの唾液の侵入もほとんどなく、少なくとも一〇年の長期にわたつて保持できる補綴物である。歯科医師は、ブリッジ補綴治療に際しては長期使用に耐え得るよう支台築造、ブリッジ設計・制作等を行う必要がある。」

「被告は昭和五八年五月一六日ころ、原告との間で、本件欠損歯についてセラミック前装鋳造冠のブリッジを適切に補綴することを目的とする治療契約を締結していたものであるから、被告は原告に対し、支台築造やブリッジの設計・製作を適切に行い、少なくとも一〇年間の長期使用に耐えるようにブリッジの補綴を施すべき債務を負つていたことが認められる。」

「被告は、左上二番の支台築造に当たつて、鋳造ポストの保持力を高めるべく最善を尽くすべき業務上の注意義務を怠つたというべきであつて、本件ブリッジの脱離につき債務の本旨に従わない補綴治療を行つたことの責を負うものというべきである。」

「次に、右上一番の支台築造における被告の不完全履行を検討する。前示のとおり、昭和六〇年四月三〇日、原告は本件ブリッジが「スポッと抜け落ちた」として被告医院を訪れ、被告は直ちに本件ブリッジをセメントで装着したことからすると、右上一番はリテーナーがレジン・コアから外れ落ちたものと推認される。・・・昭和五八年の被告による右上一番の支台歯は半円形であつたことが認められるが、右脱離の状態と支台歯の形状からすると、昭和六〇年の右上一番のブリッジ脱離は、被告が支台築造に当たつてコアの軸面テーパーを二〇分の一を超える程大きくとりすぎたことが一因であると強く推認される。この点、被告は右上一番の支台築造の内容及び治療経過を明確にできず、他に右推認を払拭するに足りる証拠もないことからすると、右上一番の支台築造に当たつて被告の築造行為は不完全なものであつたといわざるを得ない。その後、被告による右上一番の再支台築造等にもかかわらず、本件ブリッジは脱離していることからすると、被告は右上一番の治療行為について債務不履行の責を免れないものといわざるを得ない。」

<注16> 本判決は「少なくとも一〇年間の長期使用に耐えるようにブリッジを補綴を施すべき債務を負っていた」とする点につき、注意義務違反の認定自体については直接には言及していないが、後述のように損害認定において引用している。また、この判決のいう「セラミック前装鋳造冠ブリッジ」とは、認定された事実によるとメタルボンドブリッジのことと推測される。

<注17>  判旨中の本文に関係した部分は次のとおりである(なお、関係者名は筆者が仮名に変更した)。

「本件死亡当時において、歯科治療の際に口腔内に異物(抜去した歯牙を含む。)を落下させた場合の歯科医師の対処に関する歯科医療の水準は次のとおりであつたと認められる・・・。右の場合には異物による気道閉塞が予想される。しかも、歯科治療時には、喉頭部が、食事と違い、開放された状態にあるため、その発生頻度が高い。そしてこれが生じると、適時に気道確保の措置が講じられない限り急速に窒息死に至る。従つて、口腔内に異物を落下させた場合、まず気道閉塞が生じていないかどうかを速かに確認しまだ気道閉塞が生じるまでに至つていないときは、水平位診療であれば、患者を横にしたまま顔を横に向かせ、口腔内の異物の位置を確認した上、鉗子等で取り去るという措置を講じ、もつて、気道閉塞に至ることのないように処置する方途をとるべきであり、この場合、決して水平位の患者を座位に起き上がらせる挙に出てはならないとされているが、これは、水平位から座位に起こすことによつて、咽頭腔に落ちた異物が気管に落下しやすい状態となるからであると説明されている。とりわけ患者が泣いているときや声を出しているときは声門が開いているから、この点が特に強く要請されているところである。ところが本件では、被告 A歯科医師は、自らがD乳歯を亡乙山花子の口腔内に落下させた際、亡花子が大声で泣き出しており、従つてこの時点ではまだ気道閉塞の症状を示すまでには至つていなかつたのであるから、前示のような水平位のまま、すなわち、亡花子の上半身を起こすことなく異物を取り去る措置をとるべきであつた。然るに同被告は、かえつてその挙に出てはならないとされているところの患者を水平位から座位に起こす措置を採つたのであり、これは右の歯科医療水準からみて、診療上尽くすべき注意義務に違反している。そして、被告A歯科医師が亡花子を座位に起こした直後に同女の泣き声が止まつたことや呼吸困難を示したことで気道閉塞特有の症状があらわれていたのであるから、被告 A歯科医師の右注意義務違反行為によつてまだ口腔内に留まつていた歯牙が気管内に落下し、本件死亡に至つたものと認めるに妨げはない。而して、被告A歯科医師は、このような気道閉塞状態が亡花子に生じているのに、これが気道閉塞状態であるとの事態の認識なく、こうした気道閉塞が生じた場合に考えられるところの酸素補給を施すなりしつつ、患者の体位を逆さにして背中を叩き異物を排除させるというような応急の措置を講じないのみか、かえつて亡花子の上体を起こしたままでその背中を叩くという更に誤つた措置を重ね、遂に本件死亡に至らせてしまつているもので、これら一連の行動に照らすと、被告 A歯科医師の過失の程度は重いといわざるをえない。」

<注18> 医療水準論の詳細については、滝井繁男=藤井勲「『医療水準論』の現状とその批判」判タ629号12頁、飯田隆「注意義務の程度2−医療水準論の重層構造と注意義務」裁判実務体系17医療過誤訴訟法158頁等を参照。

<注19> さらには、一連の未熟児網膜症訴訟の集大成とも評されている東京地判平成元年7月21日判時1334号21頁も、この伊籐補足意見とほぼ同一の判示をおこなっている。

<注20> この義務に関しては、西野喜一「説明義務、転医の勧奨、患者の承諾、自己決定権」判タ686号85頁参照。この義務は、後述の「患者の承諾を得るための説明」や「療養指導の内容としての説明」と並んで、広義の説明義務を構成するものと解されている。最高裁判所も、未熟児網膜症事件に関する最判昭和60年3月26日民集39巻2号124頁において、「当該病院には当時本症の治療方法として一般的に認められるに至っていた光凝固等の手術のための医療機械がなく、また、同児の眼底検査を担当した眼科医が、未熟児網膜症についての診断治療の経験に乏しく、・・・検査により、眼底の状態に著しく高度の症状の進行を認めて異常を感じたにも拘らず、直ちに同児に対し適切な他の専門医による診断治療を受けさせる措置をとらなかったため、同児が適期に光凝固等の手術を受ける機会を失し失明するに至った等の事実関係があるときは、眼科医は右失明につき過失がある」と判示し、この義務が医療格差を補う機能を果たしていることを明らかにしている。

<注21> 金川琢雄「医師の転医勧告義務に関する一試論」金沢医科大学雑誌8巻1号1頁。

<注22> 野田・前掲注<2>349頁。

<注23> 本判例では、原告は、仮に急性骨髄炎からの転化が認められないとしても、被告病院におけるドライソケットの治療が不完全であることにより原告が原発性慢性骨髄炎に罹患した旨の仮定的主張をしたが、裁判所は、慢性骨髄炎の発症原因は不明であるが被告病院での抜歯窩の治療は一応正当なものであったとして、右仮定的主張も認めなかった。

<注24> 最高裁判所も、歯科領域に関するものではないが、最判昭和56年6月19日判時1011号54頁において、傍論ではあるが医師の説明義務を認めている。なお、これ以外にも、診療契約に基づく治療行為の内容としての説明義務及び前述の転医勧告に関する説明義務という概念が認められており、これらと区別する意味で、ここにいう説明義務は患者の承諾を得るための説明義務と呼ばれており、患者の承諾に関する問題と区別して論じることは実際的ではないので、以下ではこの両問題を一括して説明する。

<注25> 菅野・前掲注<3>237頁。

<注26> 奥平哲彦「歯科医療」判タ686号131頁。

<注27> 菅野・前掲注<3>236頁以下。

<注28> 吉野孝義「美容整形」判タ686号126頁。

<注29> 本判例は「挿し歯」としているが、判旨を見る限り実際に本件で問題とされたのは「挿し歯」ではなく部分有床義歯であると推測される。

<注30> 野田・前掲注<2>341頁。

<注31> 奥平・前掲注<26>131頁。

<注32> 菅野・前掲注<3>235頁。

<注33> 山本康一「抜歯中に下顎骨が骨折したとき」デンタルダイアモンド増刊号第12巻8号17頁参照。

<注34> 野田寛「判例評釈」医療過誤判例百選187頁。

<注35>  竹井哲司「判例評釈」医療過誤判例百選115頁も本判例の掲げる要件に賛成している。

<注36>  平成7年8月22日付け日本経済新聞夕刊。なお、インプラントの現状における病理学的な問題点については井上孝=下野正基「インプラント病理総論」日本歯科医師会雑誌48巻11号17頁参照。

<注37> 本判例の事案は、認定された事実によると次のとおりである。すなわち、昭和57年に、被告の歯科医師が、装着済みの患者(原告)の上顎のインプラントを中央の1、2本を残して全部抜歯し、右上顎4、5と6、7のあたりにバイオセラムのブレードインプラントを入れたところ、痛み等が発生して耳鼻咽喉科で治療を受けたが良くならないので、患者が東京医科歯科大学付属病院口腔外科で診療を受け、右上顎6、7につきインプラントが上顎洞に突き抜けている可能性が高いこと、痛みがあるのならば放置すべきでないことを指摘されたため、被告に前記診断結果を告げると、昭和58年4月ころ、被告は上顎洞炎症状の原因となつていた右上顎インプラントを除去し、同年9月ころ、上顎洞の閉鎖を兼ねて右上顎6、7に骨膜下インプラントの手術をし、さらに左上顎5、6にも骨膜下インプラント手術を行うとともに、右上顎の穴の閉鎖手術を行った。しかし、右閉鎖手術の抜糸後も、同インプラント埋込み部分の歯茎は完全には閉鎖せず、その後、歯茎の開いている部分の縫直し手術等を行ったものの、同部分の歯茎は完全に塞がらなかつた。そのため、歯茎にはれものができたり、骨膜下インプラントのフレーム周囲に痛みや出血等の症状も出てきたため、昭和59年9月ころ、被告は骨膜下インプラントを抜去して上顎洞の閉鎖手術をし、その後も閉鎖手術を繰り返したが成功しなかったため、昭和62年1月にスウェーデン製インプラントの手術をしたところ、約1年半後には不具合を生じ、約2年後に慢性化膿性歯槽骨炎のため抜去される結果に終わったというものである。

  なお、本判例で原告は、昭和57年のインプラント除去につき何らの説明もなかった旨述べている。

 しかし、本判例は、「原告は上顎に残つていた歯の歯槽膿漏が悪化したため被告の診療を受けたものであるところ、歯槽膿漏の悪化に伴い隣接するインプラントに動揺が生じてくることは十分あり得ることと思われるし、何らの問題もないインプラントを除去することは通常考え難いから(右手術においても、装着されていた全てのインプラントが除去されたわけではなく、選択がなされている)、インプラントを除去するだけの治療上の必要性は存在したものと認めるのが相当である(後述のように、この時期の診療録が存在しないという問題があるが、右の限度での認定は経験則上可能であるから、右の点については診療録不存在の不利益を被害に負わせる必要はない)。そして、特定部位のインプラントを除去し、そこに別のインプラントを埋め込む手術をすれば、施術を受ける原告には当然判ることであるから、全く説明なしに行うというのも通常ないことと考えられるうえ、原告の場合は、原・被告の供述によれば治療内容について積極的に意見・希望を述べていたことが明らかであつて、なおさら全く説明なしに行うということは想定し難い。したがつて、上顎のインプラントには全く異常を感じず、その除去について何らの説明もなかつたとする原告の供述は、採用できず、前記被告の供述は信用できる。」として、「前記インプラント除去は原告に無断で行つたものであるとは認められ」ないと判示している。

<注38> 平成4年12月10日付朝日新聞。

<注39> 上田裕「麻酔学の立場からの考察」日本歯科医師会雑誌13巻4号713頁。

<注40> 中村哲「医療事故訴訟における因果関係について」判タ858号23頁。

 なお、本来は事実的因果関係が証明された後に注意義務違反の有無が検討されるべきことになる。したがって、本稿の論述の順序はあくまでも便宜的なものにすぎないことに留意願いたい。

<注41> 野田・前掲注<2>344頁、同・前掲注<36>187頁。

 なお、判例【2】では、被告らは、患者の死因は上顎癌の肺転移ではないと主張して、因果関係が争いになったが、同判例は、前記肺転移の事実は医学上高度の蓋然性があるとしてこれを肯定した。

<注42> 事案は、エレベーター及び鉗子を使用して所要時間一、二分程度の左下八番の簡単な抜歯を受けた患者(原告)が、帰宅後に食事をした際に左下顎に激痛を感じ失神したとして再来院したところ、抜歯部分下部の顎の骨折が判明したので、抜歯の際に骨折が生じたと主張し、その因果関係が争いとなったというものである。本判決は、右抜歯の方法及び前記所要時間からすると右骨折が発生するほど過重な力が加わるとは考えられず、抜歯時に使用された浸潤麻酔は下顎骨の下歯槽神経まで及ばないので抜歯により骨折が発生しておれば直後に相当の疼痛を感じていたはずであるが、右患者は前記食事時点まで痛みを覚えた形跡はなく、原告本人の供述には二時間の空白があり信用性がない等の理由により、前記骨折は「抜歯行為後に何らかの事情により発生したものと考えるほかはな」いとして、抜歯との事実的因果関係を認めなかった。

<注43> 理論的には、損害として入院雑費、通院交通費及び付添看護費用も認められるべきである。なお、医師の説明義務違反や患者の承諾欠如の場合の損害認定については中村哲「医師の説明と患者の判断・同意について」判タ773号4頁参照。

<注44> 逸失利益否定判例として、大阪地判昭和54年3月20日交通民集12巻2号387頁、大阪地判昭和54年5月31日交通民集12巻3号767頁、横浜地判昭和57年3月26日交通民集15巻2号473頁、東京地判昭和57年11月18日交通民集15巻6号1527頁、大阪地判昭和58年2月25日交通民集16巻1号78頁等がある。

<注45>  判旨中の本文に関係した部分を如何に引用する(なお、関係者名は筆者が仮名に変更した)。

「被告らは、本件死亡は亡花子が突然首を右に振つたことに起因するから、過失相殺がなされるべきである旨主張するが、もともと本件のような四歳の小児に対し、抜歯をする際完全な体動の抑止を期待するのは困難であるのに対し、歯科医師にとつてこのような小児が突然の体動をすることのあるのは当然予想の範囲内にあるものというべきで、そのような事態を念頭に置きつつ、常にこれが対処の方途を考え治療に当るべきであつたと認められる・・・うえ、被告歯科医師は、抜歯するにつき付添つて来た母親・・・に対し、自ら或いは補助者を介して留意事項の伝達が十分でなかつたばかりか、亡花子としては母親と離れひとり診察室の中に置かれて抜歯を受けるという状態の中で恐怖心の生じるのは幼児としてやむを得ないものというべく、加えて、亡花子の首を振る行動によつてD乳歯が口腔内に落下した後、被告歯科医師が前判示の如き歯科医療に当然求められていた処置を講じるという容易かつ確実な方法で本件死亡に至るのを回避できたと考えられるのに徴すると本件において過失相殺をするのを相当とすべきであるとはいえない。」

<注46> 最判昭和39年6月24日民集18巻5号854頁は、過失相殺には被害者たる未成年者に事理を弁識するに足る知能が具わっている必要があるとしているが、その具体的な最低年齢については、必ずしも判例・学説ともに一致していない。

<注47> その例として、大学病院口腔外科の歯科医師によって、癌等による顎骨の切除手術部位に、腸骨等を採取してこれを移植したり他部位の皮膚を移植するという形成手術がおこなわれるようなケースを掲げることができるが、腸骨の採取等は本来は一般の医師の領域に属するとされてきたものであり、ここでは「歯科医業」領域と「医業」領域との交錯が発生している。

以 上