電子ネットワークの知的所有権法 

F.A.Q. (Frequently Asked Questions)

法律問題は、微妙な事実関係の相違により、全く結論が異なることになる場合が多いというのが実状です。したがって、本ページは特定の具体的問題に対し責任ある回答を提示するという性質のものでないことを予め御了承下さい。実際に紛争になっていたり、もしくはそうなる可能性が少しでもある事案や、契約書の作成等についての具体的問題は、必ず現実空間において専門家に相談を受けていただくことをお勧めします。

岡村 久道

(c) copyright Hisamichi Okamura, 1998, All Rights Reserved.


Q.デジタル著作物の特徴

デジタル著作物が、電子ネットワークで流通する際の、アナログ著作物と比較した特徴につき教えて下さい。


A.

1 複製・改変の容易性

デジタル著作物の特徴として、まず最初に指摘されているのは、複製・改変の容易性という点です。

この容易性という点については、まず技術的な容易性があげられます。

アナログ著作物の代表として、名画を模写しようとした場合を想定してみて下さい。

名画を模写する人にも、それなりの能力が必要であり、単なる素人が模写しようとしても、似ても似つかない絵しか、でき上がらないことは明らかです。

しかも、いくら上手な人が模写しても、オリジナルと全く同一のものが完成することも不可能です。

これに対し、このページを見ている人であれば、如何にデジタルであるファイルをコピーすることが容易であるのか、手間や費用ががかからないことなのかについては、わざわざ筆者が説明をするまでもなく良くお分かりのことと思います。

2 オリジナル概念の崩壊

デジタル著作物の場合、コピー元のファイルとコピー先のファイルとは同一です。例えばプログラムの場合、全く同一の働きをします。したがって、どれがオリジナルなのかを確定することすら、物理的には無意味となります。この意味で、比喩的に言えば、デジタル著作物では、オリジナルという概念が崩壊することになります。

3 電子ネットワークにおける流通の特色

以上の点を、別の角度から見れば、デジタル著作物は、電子ネットワークを使用して送信することができることになります。

特に、オープンかつグローバルな電子ネットワークであるインターネットであれば、地球の裏側である米国のサイトにアップロードされているデジタル著作物であっても、距離という壁を超えて、オリジナルと同一のファイルを直ちに自分の会社や家庭のパソコンを使って、簡単にセーブすることができるのです。

つまり、複製などの容易性というデジタル著作物の特徴が、電子ネットワークの存在により、飛躍的に加速されるのです。

昔、親鸞や最澄が、写経をするために長い年月を掛けて危険を冒して中国まで海を渡らなければならなかったことと比較すれば、その意味の重要性が極めて大きいことを理解してもらうことができるでしょう。

4 流通方法の変化

書籍を例として掲げると分かりやすいと思いますが、アナログ著作物の場合には、著作物が物理的な媒体に結合していることが通常でした。

例えばインターネットで書籍やCDの通信販売を行った場合、受発注はネット上で実行することができます。また、SETをはじめとするセキュリティが保たれたクレジット決済方法や電子マネーなど、ネット上の決済についても有用な方法が実現しつつあります。

ところが、書籍やCDの場合、最低限、商品の配送だけは、宅配業者を介するなど、現実空間に頼らざるを得ないことになります。

これに対し、デジタル著作物では、上記のとおり、物理的な媒体を介在させることなく流通させることができます。

その結果、アナログ著作物と異なり、ネットワークを使えばデジタル著作物という「商品」をネット上で配送することができます。

別の角度から見れば、アナログ著作物ではパッケージ化に費用を要し、下手をすれば流通在庫が発生するというリスクが存在します。

これに対し、デジタル著作物の場合には、ノンパッケージ型の流通が可能になりますので、パッケージ費用が不要になり、流通在庫によるコスト負担を心配する必要もなくなります。また、宅配の場合と比べて、インターネットで配送すれば、流通量が100倍に増加しても、配送コストは100倍にはならず、余り増加しないのです。電子メールを1通送るのと100通送るのとで、どれだけコストが変わるのかを考えてみれば、理解は容易だと思われます。

次に、アナログ著作物ではパッケージ化に費用を要し、配送コストもかかりますので、少額商品の販売には困難がつきまといます。これに対し、デジタル著作物では、このような難点はありませんので、例えばCDの代わりに1曲だけの音楽データを販売したり、本当に簡単なユーティリティ・プログラムを安価で販売することが可能になります。この点は、パソコン通信からシェアウエアを落とす場合を思い出してみて下さい。

もう少し大きな視点から見ますと、電子ネットワークは、デジタル著作物について、生産者である著作者と、消費者であるエンドユーザーとを、直接結びつけるという働きすら可能にしているのです。従来、アナログ著作物として流通していた小説などの文芸作品も、デジタル化すれば、同様の流通が可能になるのです。

5 ネットワーク流通に伴う問題

しかしながら、このようにデジタル著作物のノンパッケージ流通を歓迎する声ばかりが存在するわけではありません。

というのは、アナログ著作物の場合には無かった問題として、ネットワークを使用した不正コピーの大量配布の危険性という点も指摘されているからです。

この点については、機会を改めて説明したいと思います。

6 劣化しないということ

前記2の「オリジナル概念の崩壊」という言葉は、コピーや改変をしても品質が劣化しないという言葉で言い換えることができます。

この点を、中古ゲームソフトの販売を規制するための実質的な根拠として使用する人もいます。

しかし、この意見は、第1に、いくらデジタルであっても、それが収録された物理的媒体(例えばCD)は劣化するものであり、劣化した物理的媒体を新品同様として売却することはできないという当たり前の事実を看過しています。

第2に、ゲームソフトには流行があり、販売が開始されたばかりのものと比べて、例えば新発売から1年が経過することによって、その価値が古くなるというのは当然です。つまり、ゲームソフトは少なくとも経済的に劣化するのです。また、数年が経過すればゲーム機も世代交代してしまうという事実も看過することができません。

第3に、現在のゲームソフトには、そもそもコピーや改変をすることを事実上不可能としたり、もしくは著しく困難とするような技術的手段(コピープロテクトなど)が加えられていることを忘れるべきではありません。コピーや改変をしても品質が劣化しないという言葉は、コピーや改変ができることを前提としています。ゲームソフトについてコピーや改変ができない以上、「品質が劣化しない」という言葉だけを抜き出して使用するのは、合理的ではないものと思われます。

 

別の面から整理すると、現在は次のような状況にあるものということができます。

(1) 物理的媒体から自由になったはずのデジタルデータが、コピープロテクトのために物理的媒体との再結合を余儀なくされている(たとえばゲーム用のCDロム)。

(2) その結果、物理的媒体の劣化(たとえばロムの傷)と、運命をともにしてしまう(CDロム上のプログラムだけを切り離して救済できない)。つまり伝統的な絵画などと変わらない。

(3) PCやゲーム機器のようなハードの劣化は、デジタルデータの劣化の有無とは無関係に、デジタルデータの運命を事実上尽きさせてしまう(今時ファミコンのソフトを持っていても無意味に近い)。もっとも、これはベータマックスに見られるように、デジタルに限らない現象であることに注意。

(4) 物理的媒体から切り離されてネット送信できるようなものでも、コピープロテクトand/or課金のために専用ソフトand/or当該ソフト用フォーマットと結合されていることが多い(たとえば超流通やリキッドオーディオ)。その結果、特定のソフトと命運をともにする(ワープロソフト「松」のケースもこれに含まれる)。

(5) 流行遅れのゲームソフトは市場価値がなくなってしまうという「道徳的摩耗」も存在している。また、MS-WINDOWSにみられるように、バージョンアップにより、以前のDLLのほとんどが、全く新規のものに置き換わっているという現象も存在している。伝統的な絵画の著作物に見られるのと異なり、そこでは生鮮食料品に近い寿命でしかない。

(6) 以上の結果、「デジタルは劣化しない」などというのはお題目になっている。

(7) 他方では、技術の進歩に「対応」するために、著作権法には「新たな支分権」が付け加えられ続けて行き、授業で一覧表を学生に見せると、その複雑性に対し深い溜め息が聞こえてくる。

要するに、極論すれば、技術の進歩を著作権がどこまで妨げていいのかという問題であったり、「複製技術」対「著作権保護技術」であったりするのかもしれません。

 

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Q.電子データベースの保護(日本)

電子データベースは、わが国の著作権法で保護されているのでしょうか。


A.

 現行著作権法では、以下に述べるとおり、電子データベースは、一定の要件を満たす場合以外には保護されていません。

 もちろん、電子データベースを構成する個々のデータに創作性がある場合は、個々のデータ自体が著作物として保護されます。

 しかし、電子データベースを構成する個々のデータは、むしろ例えば住所や氏名のような単なる事実の羅列であることが多いというのも事実です。

 このような場合には、個々のデータ自体の著作物性を理由として、その保護を求めることはできません。単なる事実に関するデータは、創作性の要件を欠くので著作物に該当せず、著作権法では保護されないからです。

 このような、単なる事実に関するデータを素材として構成されたデータベースのことを、「ファクトデータベース」という言葉で呼んでいます。

 ところで、著作権法は、2 条 1 項 10 号の 3 で、「データベース」を「論文、数値、図形その他の情報の集合物であって、それらの情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したものをいう」と定義したうえ、12 条の 2 で、「データベースでその情報の選択又は体系的な構成によって創作性を有するものは、著作物として保護する」と規定しています。このように、著作権法上の「データベース」に該当すれば、12 条の 2 で保護されることになります。

 要するに、電子的なデータベースに関しては、当該データベースにつき、素材となるデータの選択や配列に創作性が認められる場合にのみ、そこに入っている個々のデータに著作物性が認められるかどうかを問わず、著作権法 12 条の 2 の「データベース」として保護されるというのが現行法の立場なのです。

 では、著作権法にいう要件をみたした「データベース」に該当する場合、どのようなケースが「データベース」の著作権を侵害する行為にあたるのでしょうか。

 この場合、繰り返しになって恐縮ですが、著作権法上の「データベース」の保護は、個々のデータ自体を保護しているわけではありませんので、素材となる個々のデータを単にコピーしただけでは「データベース」の著作権侵害とは言えず、当該「データベース」が有している選択や配列の創作性を真似たということができなければ保護することができないのです。

 したがって、現行著作権法上で「データベース」として一定の場合には保護されると言っても、後述のように、現実には極めて狭い領域しか、その侵害行為に該当しないことになります。

 ところで、以上のような「データベース」保護の考え方の背景には、伝統的な編集著作物の保護範囲に関する考え方との共通点があります。

 すなわち、その背景には、伝統的な編集著作物を含めて、もし安易に「ファクトデータベース」の保護を認めてしまえば、結果として、個々の事実に関する記述に著作権的保護による独占を認めることになりかねないという疑念が、これを保護すべきではないという考え方の根拠となっています。

 しかし、現在、電子データベースの利用は増加の一途をたどっており、それを作成するための投資も巨大化しています。他方、アナログであればともかく、デジタルの場合にはコピーと改変による再利用が極めて容易であり、さらに電子ネットワークを使えばコピーの容易性は飛躍的に増大することになります。

  ところが、前記の伝統的な著作権理論のように、選択や配列の創作性を真似るのでなければデータベースの著作権侵害が成立しないとすると、元のデータベースの著作権は、配列を変更して再編集したデータベースには及ばないことになってしまいます。

 そこで、「データベースの利用行為に対する規整権限を導入することによって、データベースの作成、提供に要する投資を保護する」ことと、「データベース市場における公正な競争やデータベースに含まれる情報の円滑な利用を促進すると共に、公共性の高いデータに対する『知る権利』を確保する」(通産省産業政策局「データベースの法的保護の在り方について(中間論点整理(案))」)こととの調和を図りつつ、どのように立法的保護を与えるかという点が、議論すべき課題となりました。

この点、わが国では、1998年3月に公表された前記中間論点整理(案)が出されていますが、諸外国の状況については、次項で説明します。

 

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Q.電子データベースの保護(諸外国)

諸外国を含め、電子データベースの保護に関して、現在どのような議論がなされているのかについて、説明をして下さい。


A.

 前問の解説で説明をした我が国の現行著作権法の立場は、単に我が国独自の法制ではなく、その元になっているベルヌ条約が採用している立場です。

 したがって、日本以外の諸外国の著作権法も、ほぼ同様の立場を採用しているというのが現状です。

 また、米国で1991年に出されたファイスト判決も、電話帳データの無断抽出という事案で、やはり著作物として保護されるためには選択や配列に創作性がなければならないとして、いわゆる「汗の理論」を否定しています。

 ところが、現代においては電子的なデータベースの構築に要する費用が飛躍的に上昇し続けているというのが実状です。

 以上のような状況の中で、商用データベースは、データの流用防止を契約条項に盛り込むことにより対処を試みてきました。しかし、契約で拘束できるのは契約当事者だけであり、第三者に対しては無力であることも事実です。

  このような背景もあって、莫大な費用を掛けてファクトデータベースを構築したにも拘わらず、中身が事実に関するデータであるという理由だけで、これをコピーして配列を変えさえすれば著作権侵害にならないとすると、あまりにも公正さを欠いたフリーライド(ただ乗り)になり、投資に対する保護という観点からは、許容できないのではないかという意見も有力になってきています。

 以上の見地から、EUでは、当初は電子データベースを対象として、その後の検討により、電子データベース以外のデータベースも含めたデータベース産業の投資保護という見地に立って、電子的以外のデータベースも対象とする指令案が1995年7月に公表されました。

 その後、1996年3月、著作権に基づきデータベースを保護するためには素材の選択又は配列の創作性を要件とすることを明確化しつつ、他方で、データベースに関し独自の権利を設けるEU指令(データベース保護に関する指令)として採択されており、これを受けて各加盟国は国内で立法化を進めています。

 この独自の権利は Sui generis right と呼ばれ、データベース作成者に、当該データベースの実質的な部分につき、「抽出権」と「再利用権」という排他的許諾権を与えようとするものです。

 わが国の通産省の翻訳によれば、この指令で、抽出(extraction)とは、「あらゆる方法による、他の媒体への恒久的又は一時的移送」を指し、再利用(re-utilization)とは、「複製物の頒布、貸与送信等、あらゆる形態による公衆への提供」と、それぞれ定義されています。

 この指令に基づいて、ドイツおよび英国で、1998年1月、前記権利保護を取り入れた改正著作権法が施行されました。

 EUは、WIPOの席でも、同じ内容の条約を採択するよう求めていましたが、審議不十分で持ち越しとなり、1997年9月には、WIPOの専門家会議で議論されました。しかし、反対の声が強かったこともあり、積み残しとなりました。 

 これに対し、米国では、前述のファイスト判決以降、この判決の論理に従う判決が続きました。1995年5月になって、データベースの投資保護に関する下院法案が議会に提出されましたが、コンセンサスが得られず廃案になってしまいました。

 しかし、1997年10月には、不正競争防止法による保護の見地から、「情報収集物反海賊行為法」(HR3531)という名の新たな議会提案が行われています。

 そうした中で、米下院は、1998年5月19日、ハワード・コーブル議員の提案による「情報収集侵害行為取り締まり法案(Collections of Information Antipiracy Act)」という名称のデータベース保護法案を可決しました(http://cnet.sphere.ne.jp/News/1998/Item/980520-6.html参照)。Digital Millennium Copyright Act of 1998 (H.R. 2281)が、1998年10月28日、クリントン大統領が署名し成立しましたが、この法案に組み込まれていたデータベース保護に関する規定は、最終的には削除されて成立しています。

 また、WIPO条約においてもデータベース保護がテーマとなる条約案が上程されたにもかかわらず、1996年12月に開催された外交会議の席ではコンセンサスが得られませんでしたが、1997年10月の公式会議では、議論の継続が合意されています。

 このように、どちらかと言えば、現在はファクトデータベースを保護しようとする流れが有力です。

 フリーライドを放置することになれば、その分のリスクはデータベース利用料金に上積みされる形で正規のユーザーにはね返ってくるというのも事実です。

 今後、わが国でも、このような流れに取り残されることがないように、同様の流れが生じるものと思われますが、どのような結果が妥当であるのかという点はともかくとしても、現状では、それに対する分析や検討は、あまりにも不十分であると思われます。この点で、前項の最後で説明した通産省の取り組みが注目されます。

 

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Q.「プロジェクト GNU」と「copyleft」

インターネット上で、「プロジェクト GNU」、「copyleft」という言葉を耳にすることがありますが、それは著作権法との関連で、どのような意味を持っているものなのですか。


A.

 GNU とは、Gnu's Not Unix という語の略称です。

 最初の Emacs エディタの作者としても有名な Richard M. Stallman (RMS) によって提唱されました。つまりGNUは、RMS がプログラムを書いた Unix 互換のソフトウェアであり、RMS は使用を希望する人にフリーで提供しようとしました。なお、GNUは「グヌー」と発音されるのが普通です。

 GNU の考え方を具現しているのが、GNU GENERAL PUBLIC LICENSE (GNU 一般公有使用許諾書)です。

 そこには、「フリー・ソフトウェアの複製物を自由に頒布したり販売できること。希望しさえすればソース・コードを現実に入手できるか、あるいはその入手が可能であること。入手したソフトウェアを変更したり、新しいフリー・プログラムの一部として使用できること。以上の各内容を行なうことができるということをユーザ自身が知っていること。」という有名な文言が記されています(以上の翻訳は、上記リンク箇所掲載の文章に基づいています)。

 GNU ソフトウェアを作成しているのが、RMS をリーダーとする非営利団体であるプロジェクト GNU です。

 また、プロジェクト GNU の作業の支援と GNU ソ フトウェアやマニュアルの配布、寄付の受付などは、Free Software Foundation (FSF) という非営利団体によって実施されてきました。

 ところで、前述の考え方の背景には、もし好きなプログラムがあるのであれば、それを他の好きな人と共有すべきであるという考え方が存在しています。

 つまり、RMS は、1970 年代には、基本的に人々が互いに友好的であったにもかかわらず、その後、ソフト会社が、ユーザにソフトを他人と共有しないことを契約させて、ユーザを分割、支配しようとしているとの認識から、これに反対すべきであるという思想に基づいて提唱したものであるという旨を述べています。

 次に、copyleft ですが、この言葉は、米国で著作権を表す copyright という言葉のアンチテーゼとして提唱されたものであって、もしあなたがフリーのソフトに改良をすれば、その改良もまたフリーでなければならないという考え方であり、その背景には、やはり前述の思想があります。

 以上の詳細については、引地信之氏と引地美恵子氏が書かれた「 Think GNU 」という優れた著書がネット上の次の場所にアップされています。

http://www.plaza.hitachi-sk.co.jp/~masa-k/doc/think-gnu/

 この GNU および copyleft という考え方は、ネットにおける伝統的なハッカー文化ともいうべき考え方の本流を形成してきました。

 この点、一橋大学の白田秀彰氏が、「ハッカー倫理と情報公開・プライバシー」という興味深い論文で明快に分析されています。次のとおり、この論文もネット上で読むことができます。

http://leo.misc.hit-u.ac.jp/hideaki/hacker.htm

 現在、このようなネット文化に対して、否定的な見解や、これを少なくとも一定限度肯定して見直そうとする意見(筆者はビジネス系の法律実務家ですが、それでもどちらかといえば好意的に感じています)もあります。

 ところで、ネットスケープ・ナビゲーターが世に出た理由は、WWWブラウザとして最初に有名になったモザイクの開発者が、大学当局によるモザイクの囲い込みを嫌ったことが原因であると指摘する意見もあります。

また、ネットスケープ社が、1998年になって、エクスプローラーに対抗して、ナビゲーターのソースコードを公開しようとしたのも、以上に述べた伝統的なネット文化に習ったものだと指摘する人もいます。つまり、フリーなソフトにすることにより、ネットを利用する優秀なプログラマーの手による改良を目指すものとして提唱されているからです。

 このようなネットスケープ社の動向には、他にも種々のビジネス上の要因が存在するのかもしれませんが、ネット上における動向の背景を少しでも正確に理解しようとすれば、伝統的なネット文化について、もう一度、目を向ける必要があると考えています。

 

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Q.米国の「グリーンペーパー」と「ホワイトペーパー」

米国の「グリーンペーパー」、「ホワイトペーパー」について説明して下さい。


A.

米国のクリントン政権は、就任直後にNII(全米情報インフラストラクチャー)という構想を公表しました。

これは「情報スーパーハイウェイ構想」という名前で知られていますが、この構想とともに、「情報基盤タスクフォース」(IITF, the Information Infrastructure Task Force)を組織しました。

「グリーンペーパー」と「ホワイトペーパー」は、どちらも、IITFの情報政策委員会の中に設置された知的財産権ワークグループ(ブルース・リーマン米国特許商標庁長官を責任者とする)によって出された、情報スーパーハイウェイのために必要とされる知的財産権に関する法律および政策についての適切な変更をテーマとした報告書です。

グリーンペーパーは 報告書予備草案(予備的報告書)、ホワイト・ペーパーは報告書という関係になります。

グリーンペーパーとは、正式名称を、Green Paper ,Intellectual Property and the National Information Infrastructure, APreliminary Draft of The report of the Working Group on Intercellular Property Rights(1994)といいます。

1994年7月に出されており、

http://www.iitf.nist.gov/ipc/ipc-files/ipwg/ipwg_draft.html

で読むことができます。

ホワイト・ペーパーは、Intellectual Property and the National Information Infrastructure, The Report of the Working Group on Intercellular Property Rights (1995)といい、1995年9月に提出されました。翻訳すれば、「知的財産権と全米情報インフラストラクチャー」という意味になります。

これについても次の箇所で見ることができます。

http://www.uspto.gov/web/offices/com/doc/ipnii/

双方ともに、著作権が議論の中心とされています。

これらの報告書の特徴ですが、メモリーへの一時的蓄積は複製に該当するという米国独自の主張を前提として、ネットワーク上の著作物を利用する行為は、メモリーへの一時的蓄積を伴うので複製行為に該当するとしています。また、ネットワークにアップロードする行為は複製物の配布行為にあたるとして、頒布権 (distribution) による保護を及ぼそうとしています。

ホワイト・ペーパーの公表と同じ月に、その最終章の「提言」は、「NII法案」として上下院に提出されましたが、ホワイトペーパーが、著作権を保護するためにはインターネット・サービス・プロバイダに、サービス提供者として、ある程度厳しい責任を負わせる政策を採ろうとしたこと等が原因となって反対に遭い、結局、1996年末、NII法案は廃案となってしまいました。

 

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Q.米国のCONFU

米国のCONFU (CONference on Fair Use) について説明して下さい。


A.

CONFUとは、the CONference on Fair Use つまり、フェア・ユース協議会の略称です。

米国グリーン・ペーパーにおける提唱に基づき、ネットワーク時代におけるフェアユースのありかたに関するガイドラインを作成することを目的として組織されました。

著作権者およびユーザー側の約100団体が参加して協議がなされ、その結果、ONFUは、1996年12月、各種のガイドラインの提案を含んだ AN INTERIM REPORT TO THE COMMISSIONER というレポートを発表しています。

この報告書は、次のとおり、USPTO(米国特許商標庁)のサイトに収録されています。

http://www.uspto.gov/web/offices/dcom/olia/confu/interim.html

 
ところが、参加団体からは、これに対する支持が得られず、1997年4月段階では、コンセンサス取得に失敗したという声明すら出されました。

その後、同年9月、REPORT TO THE COMMISSIONER ON THE CONCLUSION OF THE FIRST PHASE OF THE CONFERENCE ON FAIR USE というレポート

http://www.uspto.gov/web/offices/dcom/olia/confu/conclutoc.html

が公表され、1998年5月18日から、このレポートをめぐる検討が再開される予定となっています。

 

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Q.米国著作権法の最新動向

米国著作権法の最新動向について、説明して下さい。

 


A.

米国では、Digital Millennium Copyright Act of 1998 (H.R. 2281)が、1998年10月28日、クリントン大統領が署名し成立しました。2年後に施行されることになっています。

この立法は、WIPO条約の批准に向けられたものですが、次の特色をもっています。

コピープロテクトを破ること自体を禁止しました。コピープロテクトを回避するための装置の製造、販売、輸入、頒布行為、回避のための役務提供も禁じられています。例外的に、互換性確認、暗号技術の研究、プライバシー保護、ポルノからの未成年者保護のためのリバースエンジニアリングなどは許されています。

この法案に組み込まれていたデータベース保護に関する規定は、最終的には削除されて成立しました。

インターネット/オンライン・サービス・プロバイダの責任を限定しました。もっとも、著作権者が著作権侵害行為の存在を通知したときは、侵害行為の停止義務があります。もっとも、著作権者が侵害の事実を知ってから短期間で訴えを起こさないときは、ユーザーからのアクセス復活請求に応じなければなりません。

 

 


関連サイト

http://www.news.com/News/Item/0,4,27363,00.html

 

 

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Q.リンクと著作権

 「無断リンク」は著作権侵害にあたるのでしょうか、言い換えると、リンク先から承諾をもらうことなくリンクを張ることはできないのでしょうか。


A.

 この点については未だ日本では判例はありません。

 外国では、まずスコットランドで、ライバル新聞社同士の間でリンクが争われたケースがありますが、和解により終了しています。

 次に、米国では、1997年4月に、Ticketmaster 社が Microsoft 社を訴えたというケースもあり、訴訟継続中ということ以外には、続報は伝わってきていません。

 しかし、いわゆる「無断リンク」であっても原則として著作権侵害にあたらず、リンク元の承諾は不要であると考えています。

 以下に理由を説明します。

 著作権法との関係で問題となるのは、複製権と公衆送信権です。

 リンクを張る行為は、閲覧者が自分でリンク先のURLをキーボードで打ち込む手間を省き、自動的に打ち込んだのと同様にリンク先に飛べるようにしているだけであり、リンク元はリンク先のコンテンツを自分のサイトにコピーしているわけでもなければ、リンク元が一度自分でコピーしてから、閲覧者に対し当該コピーを送信しているわけでもありません。したがって、複製権侵害には該当しません。

 また、リンク先の公衆送信権を侵害しているわけでもありません。リンク先のウェブが閲覧者の端末へのコンテンツの送信を許可しているからこそ、閲覧者リンク元のリンクをクリックすることにより受信ができるのです。

 リンク先が特定の閲覧者にのみ閲覧ができるという形にしたければ、例えばIDとパスワードを要求すれば済むはずです。このような措置を講ずることができるにもかかわらず、これを講ずることなく、単に無断でリンクを張ったと言うだけで違法視するのは、実質的に見ても不当であるというべきでしょう。

この点、加賀山茂教授も、既に次のように指摘されているところです。

「自分の作品にリンクを張られることを快く思わない人は、WWWに作品を公開すべきではない。WWWの世界は、すべてが公開され、他人によって勝手にリンクが張られることを前提にした世界である。著作者人格権は保護されるべきであるが、著作者財産権は、会員制を取る等のアクセス制限によってしか、保護されない制度であると考えるべきであろう。」(加賀山茂「著作権とデータ利用のマナー」)

 

 もっとも、以上の原則に対しては、例外的に問題となるケースも存在します。

 例えば、リンク先のコンテンツをリンク元のフレームの一部に表示する形のリンクを張った場合には、ブラウザのURLとしてリンク元のそれが表示されたままになりますので、フレーム内に表示されたコンテンツが誰の著作物か不明確になり、リンク元の著作物の一部のように誤解されるケースが発生することがあります。

 また、他人のコンテンツであるグラフィックスだけにリンクを張った場合も、同様に、あたかもリンク元のコンテンツの一部であるかの如く見せかけることが可能となります。

 したがって、以上のように、リンクの結果、リンク先の著作物がリンク元の著作物であるかのような誤解を生ぜしめる場合には、著作権侵害に該当するケースもありうると考えることも不可能ではないように思われます(栗田隆「Web出版における引用について」参照)。

 その際の理論構成としては、なお立ち入った検討が必要ですので、ここでは翻案権、同一性保持権、氏名表示権侵害が考えられるという点を指摘しておきたいと思いますが、筆者としても結論を出すには至っていません。

 なお、かつて、米国において、商用ニュースサイトのトータルニュース社が、自社が集めてきた広告とともに自社のページのフレーム内に他社のニュースを掲載したとして、ワシントンポストなどがトータルニュース社を1997年6月に訴えたという事件(トータルニュース事件)があります。もっとも、この事件も和解で終了していますので、著作権法違反という裁判所の判断が下されたわけではないことに、注意して下さい。

 この事件と関連して、日本の新聞社がトータルニュース社に対し抗議するという事件も発生しています(日経NET「米トータルニュース社、不正リンク停止 新聞5社の抗議受け入れ」)。

 以上のケース以外には、著作権は基本的には問題となりません。

 このように考えることに対しては、リンク元が「殺人犯のホームページに対するリンク」という誹謗中傷的なコメントを付けてリンク先へのリンクを張った場合でも、リンク先は差止請求などの法的措置が執れず不当であるのではないかという批判も考えられないわけではありません。

 しかし、このようなケースでは、正面から問題を捉えれば、著作権ではなく名誉毀損や業務妨害が本質なのですから、名誉毀損や業務妨害を理由に法的措置を講ずるべき筋合いのものであり、ここに著作権を持ち出すことは的外れといわなければなりません。

 それでは、リンクを張る際に、単にリンク先を「誰々のホームページ」のように記載するのではなく、一緒に記事の表題を載せる場合、表題の掲載自体が著作権侵害となるでしょうか。

 記事の表題であってもただちに著作物性が認められるとは限りません。ニュースの記事本文とは異なり、表題自体は、単なる事実を列記したものにすぎなかったり、それに類するものである以上、創作性の要件に乏しい場合が多いからです。

 この点、著作物性が認められなければ著作権の侵害にはなりません。さらに、仮に著作物性が認められるものである場合でも、リンク先が何なのかが明らかにならなければ意味がありませんので、リンクに伴い必要な引用として適法とされるのが普通であると思われます。また、むしろリンク先は少しでも多くのものに見てもらうことを希望してウェブを公開しているわけですので、実害がないのが通常であると考えられます。したがって、少なくとも損害賠償の対象となると考えることは困難です。以上の点と、ウェブにおけるリンクの機能や存在意義という点と併せ考えれば、損害が要件とされていない差止請求を含め、特段の事情がない限り、全体として著作権侵害の成立を否定すべものと思われます。

  以上は、あくまでも法的な議論であり、ネチケット上、できるだけメールででもリンクの承諾を受けることが望ましいことは言うまでもありません。

 


 

関連サイト

栗田隆「Web出版における引用について」

http://civilpro.law.kansai-u.ac.jp/kurita/copyright/article2.html

後藤斉「ウェブページのリンクおよびその他の利用について」

http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/webpolicy.html

 

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Q.MP3と著作権

 最近米国で「MP3」をめぐって著作権との関係で紛争になっていると聞いています。どのような紛争なのでしょうか。


A.

 別稿「MP3 と著作権法」をご覧下さい。

 

 

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