ソフトウェア・ライセンスの法的根拠に関する考察

1996年12月18日初稿 1998年6月16日最終改訂

岡 村  久 道

(C) copyright Hisamichi Okamura, 1996-1998, All Rights Reserved.


 

1 問題の所在

 ソフトウェア・プログラムは著作物として保護されており、いわゆるパッケージ・ソフトウェアについては実務ではライセンス(使用許諾)方式が浸透していることは周知のとおりである。

 しかし、ソフトウェアのライセンスに関する法的根拠という点については、必ずしも踏み込んだ検討がなされてこなかったように思われる。

 パッケージ・ソフトウェアを「購入」する場合、元のプログラムを媒体に複製するのは、いわゆる「販売元」(権利者)側である。「購入者」側が複製をするわけではないので、その限度では著作権法上の複製権(同法21条)侵害の問題は発生しない。次に、著作権者側は著作物の原作品又は複製物について譲渡権を有しているが(同法26条の2第1項)、著作権者側により公衆に譲渡された著作物の原作品又は複製物については、譲渡権は及ばない(同法26条の2第2項2号)。

 また、ソフトの媒体に関する所有権は作成時点では権利者側に帰属している。しかし、「購入者」側が「購入」するという行為が、字義どおり、媒体の所有権を取得するという意味であれば、この所有権も働かない。ただ、購入に際し何らかの債権契約上の条件を付することがどこまで可能なのかという点が問題になるにすぎない。

 換言すれば、およそライセンスに関する法的根拠としては、支配権である著作権法上の複製権や媒体の所有権を援用できるものではないのである。

 適法に作成された「複製物」を「購入」しながら、なおも使用許諾を要するというのは、どのような法律関係に基づくものなのであろうか。

 以上のような視点に立つと、この問題を検討する前提として、ソフトウェア・プログラムの「使用」に著作権が及ぶかという点に立ち返って検討を加える必要がある。

 なぜなら、著作権法による保護が及ぶとしてはじめて、無許諾で「使用」する行為は著作権侵害と評価され、これを適法に使用するためには権利者からの「使用許諾」すなわち「ライセンス」が必要になるからである。

 

2 従来の対応

 周知のように、書籍は出版社により作成された適法な複製物であるが、我が国の著作権法では、本(書籍)を「読む」という使用行為自体には著作権は働かないものとされている。

 この点からも明らかであるとおり、ソフトウェア・プログラムを含め著作物一般については「使用権」なる特別な概念は認められていない。

 ただ、113条で、一定の場合に限りプログラムをコンピュータで「使用」する行為が著作権を「侵害する行為」とされているだけであるが、もとより、この条項とて、プログラムの「使用権」を認めるための根拠条項とされているわけでもない。

 それ以外に何か関係がありそうな現行著作権法上の条項を検討すると、現行著作権法で問題となる条項は、「複製権」程度にすぎない。

 かつて、プログラムが小規模であって、一度もハードディスクにインストール(複製)することなく、ソフトハウスから支給されたマスターディスクであるフロッピーディスクから立ち上げることができた時代には、「プログラムを使用する」ということは、PCレベルでは、単に前記フロッピーディスクからメモリーに入れる(ロードする)ということを意味するのが普通であった。

 中には、マスターディスクであるフロッピーディスクにコピープロテクトが付されており、バックアップのためのディスクコピーすらままならないものも少なくなかったので、その場合にはマスターディスクの使用が当然の前提とされていた。

 そこで、このような意味の「プログラムをコンピュータで『使用』する行為」に著作権法をはじめとする法律の網を被せるために、かつては次の2つの方法が検討されてきた。

(1) プログラムをコンピュータで「使用」する行為は何らの著作権侵害には該当しないとした上で、「ソフトウェア使用権」なる概念を立法的に新設し、無許諾の「使用」を違法とする。

(2) 合衆国と同様に、現行法上も、メモリーにロードする行為を「複製」ととらえ、無許諾の場合は複製権侵害になるという法解釈による解決を図る。

 すなわち、まず、(1)であるが、1973年6月に公表された著作権審議会第2小委員会報告書は、プログラムの実施自体を著作権によって直接規制することはできず、その使用は「複製」には該当しないとした。

 その理由として、メモリーへのロードも瞬間的で過渡的なものに過ぎず永続性・安定性を有するものではないから「複製」には当たらず、このような解釈が世界の定説であり、また、もし複製にあたるとすると、オーディオやビデオの信号が電信線や電話線により電送されている間も複製があったと解さざるを得ないこととなり、現行法体系を乱すことになると説明している。

 その約10年後である1983年12月に公表された産業構造審議会・ソフトウェア基盤小委員会の「プログラム権立法」は、前記著作権審議会第2小委員会報告書と同様の立場を前提に、(1)の方法を採り、プログラムをコンピュータで「使用」する行為について、新たに使用権を創設してプログラム保護を図ろうとしたが、諸種の外的要因のために立法化は挫折した。

 このような挫折の後、著作権法が改正され、改正法は、プログラムを著作物であるとしつつ、他方では、新たにプログラム使用権を認めることなく、ただ113条のような不明瞭な規定が置かれるにとどまったわけである。

 改正後、前記(2)の解釈を採る有力説(野一色勲「コンピュータにおける複製」著作権研究16号68頁)も出現したが、なおも通説は、前記(2)の解釈を否定したままであった。

 

3 近時の動向

 さらに時は流れ、1995年2月に公表された「著作権審議会マルチメディア小委員会ワーキング・グループ検討経過報告」では、次のように述べられている。

 なおも、その<現状>という部分に記された前記のような考え方が現在の日本の通説ということになるが、若干、トーンに変化があることが読みとれる。

 

「1 著作者の経済的権利

(1)複製権

<現状>

 著作権法第21条は「著作者は,その著作物を複製する権利を専有する」ものと規定している。同法第2条第1項第15号は「複製」を「印刷,写真,複写,録音,録画その他の方法により有形的に再製すること」と定義しているが,プログラムの実行に伴うコンピュータの内部記憶装置への蓄積は,瞬間的かつ過渡的なものであって,「複製」には該当しないとの解釈が一般的である(著作権審議会第2・第6小委員会報告書)。

 なお,著作権法第113条第2項は,「プログラムの著作物の著作権を侵害する行為によつて作成された複製物を業務上電子計算機において使用する行為は,これらの複製物を使用する権原を取得したときに情を知つていた場合に限り,当該著作権を侵害する行為とみなす。」と規定している。

 

<問題の所在>

 コンピュータヘの瞬間的・過渡的な蓄積とそれ以外の区別は必ずしも明確でなく,また,国際的には「複製」概念を瞬間的・過渡的な蓄積を含めて広く捉えることにより著作物の多様な利用方法の発達に対応しようとする潮流があることに留意する必要があるとの指摘がある。

 

<国際的動向>

 ベルヌ条約には「複製」の定義は設けられていない。コンピュータ・プログラムの法的保護に関するECのディレクティブ(1991年5月採択)第4条(a)項では,プログラムのロード,ディスプレイ,実行などに伴う一時的な複製についても著作者の許諾権が及ぶものとするとともに,第5条において,プログラムの適法な所有者によるそのような行為はプログラムの使用に必要な場合には原則として許諾を要しないこととするなどの権利制限規定を設けている。同様に,米国の判例学説においても,複製の範囲を広く捉えている。

 現在WIPOの場において検討されている新文書の事務局提案では,「複製」にはその時間を問わず電子的形式の蓄積を含むものとされている(INR/CE/III/2 パラ29(f))。新文書は直接的には実演家及びレコード製作者の権利に関するものであるが,「複製」の定義は著作権に関する場合も同様に解さざるを得ないと考えられる。

 

<考えられる対応例>

[A]「複製」の定義に,電子的形式による一時的な蓄積も含むことを明確に規定する(2条1項l5号)。

 

<考察>

 「複製」の定義自体を拡張するという[A]の対応については,従来の概念を著しく変更し,実質的には著作権制度が基本的に予定していない「使用権」を認めることになってしまうこと,他方で著作物の通常の使用を妨げないように権利制限規定を設けるとすれば改正の実質的な意味が乏しいことなどから,慎重にすべきであるとの意見が多い。

 また,著作物の持続的な「複製」を伴わないような利用方法の発達については,「複製」の定義を拡張しなくとも,放送・送信に関する権利の拡大やディスプレイに関する権利の創設によって対応することが可能であり,かつ適切であるとの指摘もあった((2)及び(3))参照)。

 しかし,国際的には「複製」概念を広く捉えるべきであるという意見が強いことにかんがみ,今後の国際的検討の動向を踏まえつつ,仮に[A]のような対応を行った場合に必要となる権利制限規定及び違法複製物の使用に関する現行法第113条第2項のみなし侵害規定の見直しなどの同時に配慮すべき事項について,必要に応じ更に検討する必要がある。」

 

 この「検討経過報告」の<考察>では、いわば玉虫色の見解が列記されているが、この中でも言及されているように、1996年12月になって、ベルヌ条約の改正がWIPOで検討された際に、合衆国は、前記(2)の、メモリーにロードする行為を「複製」ととらえるべきであると主張した。しかし、他の各国の反対に遭い、結局、意見を撤回するに至った。

 

4 検 討

 以上の経緯により、現在も、プログラムをコンピュータで「使用」する行為が、どのような著作権侵害に該当するのか、換言すると、ライセンスは何に根拠を求められるのかについては、正直なところ不明確なまま現在に至っている。

 これをライセンスが単なる「慣行」であると評するか否かはともかくとしても、急激なコンピュータ技術の発展という時代の流れの中で、プログラムを実行することが、フロッピーディスクからメモリーにロードするということを意味する時代はいつの間にか過ぎ去り、やがてパッケージ・ソフトウェアを中心とするプログラムは肥大化して、ハードディスクにインストール(複製)しなければ実行できないようなアプリケーションが一般的になって、そのため、いつしかコピープロテクトすら過去のものになってしまったことは周知のとおりである(もっとも、既にそれすら飛び越え、他方でCDロムのまま実行できるゲームソフトが一般化しているが・・・・)。 その場合でも、同法47条の2第1項は、「プログラムの著作物の複製物の所有者は、自ら当該著作物を電子計算機において利用するために必要と認められる限度において、当該著作物の複製又は翻案(これにより創作した二次的著作物の複製を含む。)をすることができる。」と規定している。したがって、ハードディスク上にインストールしなければ使用できない場合、同項にいう「電子計算機において利用するために必要と認められる限度」に該当するから、事前に権利者の許諾を得ることなく、ユーザーはハードディスク上にインストールという複製行為を行うことが許される。

 そうすると、現在において「違法コピー」と言われる状態は、結局のところ、同一のマスターディスクから複数のPCのハードディスクにインストール(複製)しているという問題であるから、その点で、容易に複製権侵害で捉えることができるようになったことを意味している。

 そのためか、マイクロソフト等は、大量に同一のアプリケーションを導入する企業のために、同一のマスターディスクから複数のPCのハードディスクにインストール(複製)するためのライセンスを実施している。

 翻って考えると、フロッピーディスクからメモリーにロードしていた時代でも、悪質な「複製」というのは、マスターとなるフロッピーディスクからプログラムを別のフロッピーディスクにコピー(複製)していたというケースであり、マスターとなるフロッピーディスクを複数人で使い回すという行為は、その使用形態上の大きな制約から考えて、事実上は余り大きな問題ではなかったのかもしれない。

 このように考えると、今も昔も大差はなく、メモリーにロードする行為自体を「複製」とするか否かという議論は、理論的にはともかく、さほど実益があったものではなかったと考えることもできる。

 以上の意味で、「違法コピー」には複製権侵害で対処しうる状態であることを考慮すると、ライセンスの根拠として、極めて歪曲された形ではあるものの、現実には「複製権」が働いていると考えることも可能であると思われる。

 付言すると、ベルヌ条約の改正がWIPOで検討された際の合衆国の前記要求も、インターネット等の発展により、ネットワークを通じてブラウザ等にコンテンツを表示する行為を「複製」と捉えるかどうかという議論に様変わりして、まさに似て非なる議論になっていると指摘することも可能であろう。

 

5 追記(1998年3月26日)

 本稿アップロード後、物理的に1個のサーバ内のディスクに記録されたプログラム・ソフトウェアをイントラネットなどを介して、物理的に複数のクライアントのメモリ内にロードし使用するということはかなり当たり前のことになってきているが、この場合、1個のソフトから複数の物理装置のメモリ内に同時又は非同時に複数の複製がなされることになるので、この場合をどのように扱うべきかというご指摘をいただいた。

 WIPO著作権条約は、8条において「公衆への伝達権」を認め、「著作者は、有線又は無線の方法による著作物のあらゆる公衆への伝達を許諾する排他的権利を享有する。」とした。

さらに前記条約では、あわせて「ここでいう公衆への伝達には、公衆の構成員が個別に選択した場所及び時において著作物にアクセスできるように、当該著作物を公衆に利用可能な状態にすることを含むものとする。」と規定されている(8条)。

(本稿における同条約の翻訳は著作権情報センターのサイトに掲載された「WIPO著作権条約(参考訳)」に基づく。)

 これに基づき、わが国の著作権法も、1997年6月の改正(1998年1月1日施行)で、 「著作者は、その著作物について、公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。)を行う権利を専有する。」という規定(23条)を設けている。これは公衆送信権と呼ばれている。

 さらに、わが改正著作権法2条1項7号の2は、「公衆送信」の定義につき、「公衆によつて直接受信されることを目的として無線通信又は有線電気通信の送信(有線電気通信設備で、その一の部分の設置の場所が他の部分の設置の場所と同一の構内(中略)にあるものによる送信(プログラムの著作物の送信を除く。)を除く。)を行うことをいう。」と規定した。

 この後者の規定の文言はやや難解であるが、これを分析すると、構内LANは「例外」として公衆送信の保護対象外とされている。

 しかし、「プログラムの著作物の送信」については、この「例外の例外」とされており、したがって、構内LANによる場合もプログラムの通信に関しては「公衆送信」に該当することになり、前記「公衆送信権」により保護される。

 このような改正の理由につき、「著作権審議会マルチメディア小委員会審議経過報告(平成9年2月24日)」は、次のように述べる。

(改正前の)「著作権法における「有線送信」の定義は,「同一構内」のみにおいて行われるものを除いているため,同一構内で公衆に対して行われる有線電気通信の送信については,著作者の権利は及ばないこととされている。このことについては,いわゆるLAN(Local Area Network) の発達・普及に伴い,特にコンピュータ・プログラムの利用について問題視されており,上記の「検討経過報告」でも,「同一構内における公衆への送信も有線送信に含めるようにする」という対応案が提示されていた。
 有線放送やLAN等によるリクエストを受けて行う送信を用いた,同一構内での著作物の利用については,現在拡大と多様化が進みつつあるため,同一構内における公衆への送信全体を有線送信に含め権利を及ぼすことは,これに伴って必要となる種々の権利制限規定の在り方とも併せて,利用実態の変化を踏まえた慎重な検討を続けることが必要であると思われる。しかし一方,コンピュータ・プログラムをLAN等を用いて同一構内で送信することは,1つのコンピュータ・プログラムを複数のコンピュータにおいて使用することを可能とし,見過ごしにできない不利益を著作者に与えつつあると考えられる。
 このため,当面は,プログラムの著作物を送信する場合に限り,同一構内における有線での公衆への送信を有線送信に含め,権利を及ぼすこととすることが適切であると考えられる。」

 それゆえ、クライアント・サーバ方式によって、構内LANの一種であるイントラネット上でプログラムを流す場合は、公衆送信権が働き、著作権者の承諾が別途必要となるという立法的解決がなされたことになる。

 

6 追記(1998年6月16日)

 本稿の冒頭で、問題提起のために、著作権法による保護が及ぶとしてはじめて、無許諾で「使用」する行為は著作権侵害と評価され、これを適法に使用するためには権利者からの「使用許諾」すなわち「ライセンス」が必要になるという点を示した。

 そして、パソコン用パッケージソフトを念頭に置いて、使用権なる概念を認めていない日本法においては複製権を中心に検討せざるを得ないこと、複製行為に固定性を要件とするという伝統的解釈を前提としても、マスターとなるフロッピーを複数コピーして使用する行為は複製権侵害でとらえることが可能であり、さらに、パッケージソフトの肥大化という流れの中で、マスターディスクをマシンのハードディスクにインストールして使用することが事実上必要となったことを背景として、1本のマスターディスクを複数のマシンのハードディスクにインストールして使用する行為を複製権侵害でとらえることを容易にしたということを明らかにした。以上を踏まえ、いわゆる「違法コピー」問題を複製権侵害としてとらえる構成により、問題を解決することができ、且つそれで足りるが、近時はむしろ電子ネットワークとの関係に焦点が移行していることことを考察した。

 ところで、パソコン用パッケージソフトと異なり、テレビゲーム機用のビデオゲームソフトの場合、CDロムまたはロムカートリッジで販売されるのが普通であり、1本のマスターから複数のハードディスクにコピーされることは物理的に困難であるが、マスターをロム焼き機でコピーしたような場合は、やはり複製権侵害として対処することができる。

 ところが、最近では、「違法中古ソフト撲滅キャンペーン」の名の下に、中古ビデオゲームソフトの販売行為に対し違法論が展開され、ついには差止訴訟が提起されるに至っている。

 ここで違法論の法的根拠とされているのは、ビデオゲームソフトが著作権法2条3項にいう「映画の著作物」に該当し、したがって同法26条で定められた頒布権が及ぶので、中古ビデオゲームソフトの販売は頒布権侵害に該当するという主張である。

 この点については検討すべき点が多いので、別稿「頒布権をめぐる法的議論について−いわゆる中古ソフト販売問題を中心として」に譲るが、新品のビデオゲームソフトの販売をライセンス(使用許諾)契約方式に依るか否かにより、結論に差異は生じるであろうか。

 ここでも中古ソフトの販売という頒布行為について著作権法による保護が及ぶとしてはじめて、無許諾で「頒布」する行為は著作権侵害と評価されることになるのであるから、結論に差異は生じないというべきではなかろうか。なお検討を要する問題である。

 

以 上

 

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