PC-VANチャット・ログ事件第一審判決

 

事件名 PC-VANチャット・ログ事件第一審判決
東京地裁 平成6年(ワ)第9488号
判決名 東京地判平成9(1997)年12月22日(控訴)
掲載誌 判時1637号66頁
判例評釈  
備 考  

 

  

判      決

 



主     文

一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一 原告の請求

 被告は、原告に対し、一二〇万円及びこれに対する平成六年六月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二 事案の概要

 本件は、被告が、パソコン通信のオンライン会話サービスを利用し、原告との間で交わしたユーザーIDの不正使用についての会話を抜粋して、会員であれば誰でも読むことができる電子掲示板に掲示した行為が、原告に対する(1)名誉毀損、(2)プライバシー侵害、(3)通信の秘密の侵害又は(4)著作権の侵害の不法行為を構成するとして、原告が、右行為によって被った精神的・財産的損害(一二〇万円相当)の賠償を求めた事案である。

一 前提事実
 以下の事実は、証拠を括弧書きで摘示した部分を除いて、当事者間に争いがないか又は弁論の全趣旨により認められる。
1 原告及び被告は、パソコン通信網PC―VANに加入している者である。
2 PC―VANは、日本電気株式会社(以下「日本電気」という。)が、その所有するホストコンピューターと全国各地の事業所コンピューター(アクセスポイント)を専用デジタル回線によって接続し、右アクセスポイントと各会員の有するパソコン等の機器(以下「会員端末」という。)を、電話回線を利用して接続し、会員に対し、電子メール、オンライン会話サービス(以下「OLT」という。)、電子掲示板等の電気通信サービスを提供するパソコン通信網である。
3 OLTは、日本電気が、複数の会員が同時に出入力等の操作をする(以下「アクセスする」という。)ことができるPC―VAN内の一定のデータ領域を会員に提供し、各会員が、右データ領域に通信文(メッセージ)を書き込むと、そのメッセージが同時刻に右データ領域にアクセスしているすべての会員端末の画面に時刻の早い順に次々と表示される仕組みのもので、会員であれば誰でも、いつでも右データ領域にアクセスすることができ、同時刻に同じデータ領域にアクセスしている会員が相互にメッセージを読み、それに対する応答のメッセージを書き込むことを繰り返すことによって、会員相互間で会話をすることができるサービスである。
4 電子掲示板は、日本電気が、会員であれば誰でもアクセスすることができるPC―VAN内の一定のデータ領域を会員に提供し、各会員が、右データ領域にメッセージを書き込み、また、書き込まれているメッセージを読むことができる仕組みのサービスであり、このように書き込まれたメッセージは、PC―VAN事務局が消去するまでの期間は、会員であれば誰でも、いつでもそのメッセージを読むことができる。
5 各会員は、日本電気との間で会員契約を締結する際、アルファベット及び数字からなる会員番号(ユーザID・以下、単に「ID」という。)を付与され、会員がPC―VANサービスを利用して発信する場合は、その会員のIDが必ず表示されるほか、各会員が自分で付けたハンドルネームと呼ばれる通称を表示することもできる。会員規約上、各会員は、他の会員のIDを不正に使用してはならないとされている。
 PC―VANの会員数は、平成五年四月当時において約六二万人であったが、その後も漸次増加している。
6 平成四年六月ころ、エーアイ出版株式会社(以下「AI出版」という。)が代表取締役個人名義で所有するID(THB五六八九八)を原告が使用し、OLT等を利用していたことが判明した。原告は、電子掲示板に、右の件は過失によるものであると掲示したが、その後も、原告がID所有者の承諾を得ていないことを認識しながらあえて右IDを不正に使用した(以下「不正使用」という。)のではないかとの疑惑がとりざたされていた。
7 被告は、平成六年三月二五日、OLTにおいて、ハンドルネーム「酔人テラ」を使用して、同「ぽにぃてーる」を使用する原告との間で会話(以下「本件会話」という。)を交わし、同月三〇日、本件会話の通信記録(以下「本件通信記録」という。)を適宜抜粋して電子掲示板に掲示した(以下「本件掲示行為」といい、その掲示内容を「本件掲示」という。)。その内容は別紙のとおりであり、要するに、被告が原告に対し前記6の疑惑の真相を尋ねたが、原告が回答を拒否したことから、被告が原告に対して「多分犯人は貴方なのでしょう。」と発言したというものである。

二 争点
1 名誉毀損
(原告の主張)
 被告は、本件掲示中の「多分犯人は貴方なのでしょう。」との発言部分により、原告がAI出版のIDを盗用したとの事実を摘示し、もって、原告の社会的評価を低下させ、原告の名誉を毀損したものである。
 なお、原告は、右IDを秋葉原の電気街で偶然に知り合った権利者と自称する者から一万円で借用したのであり、盗用したものではない。
(被告の主張)
(一)本件掲示行為の当時、原告が、AI出版の所有するTHB五六八九八のIDを不正使用したとの疑惑があったので、被告は、本件会話を通じて右疑惑に係る事実の存否を確認した上、他の会員に対して注意を喚起する目的で本件掲示行為に及んだものであり、右行為は、公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出たものである。
(二)右疑惑に関しては、平成四年六月、ハンドルネーム「右近」を使用しているPC―VANの女性会員(以下「右近」という。)が、THB五六八九八のIDを有する会員から、OLTで個人的情報にかかわる嫌がらせの発言を受けた旨を電子掲示板に掲示したことを契機にして、電子掲示板において、他の会員が右IDは原告が使用していることを示唆する発言を掲載し、原告がこれに対する反論を掲載するなどしていたところ、右近が、右IDは、AI出版が所有するもので、当時のAI出版の代表取締役名義であることが判明した旨を掲示し、さらに、AI出版が、同年七月一七日、PC―VAN会員に対し、ID管理の不始末を謝罪した上、右IDの不正使用者を原告であると特定したことを電子掲示板に掲示するなどの経緯があった。
 したがって、右経緯にかんがみると、原告が、AI出版の所有するTHB五六八九八のIDを不正使用したことは真実であり、仮に真実でないとしても、被告は、AI出版の掲示内容等を信用し、これを真実であると信じたものであり、真実であると信じるにつき相当な理由があった。
(三)したがって、被告の本件掲示行為は、公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出たものであって、本件掲示の内容が真実であり、仮に真実でないとしても、被告が真実であると信じるにつき相当な理由があったので、違法性が阻却される。
2 プライバシー侵害
(原告の主張)
(一)本件掲示は、誰が何をどのような考えに基づき発言したかを具体的に知ることができるものであるが、このような事柄は個人の思想、信条にかかわるものであって、プライバシーに関する事項として保護される。
(二)本件掲示は、当時の約六〇数万人のPC―VAN会員が読むことができる状態に置かれ、そのうち、一割に相当する約六万人の会員が実際にこれを読んだものと推測される。
(三)被告は、原告が同意をしなかったのに、本件掲示を不特定多数の者に公開し、原告のプライバシーを侵害した。
(被告の主張)
(一)本件会話の内容は、本件掲示行為によって初めて公開された情報でなく、既にAI出版によって、電子掲示板に掲示され、公開されていた情報であり、何ら秘匿性、新規性のある情報ではない。
(二)また、本件掲示においては、発言者である個人は全てハンドルネーム及びIDだけで特定され、原告の住所、氏名、職業等の情報は表示されていないので、本件掲示における発言者が原告個人であることの特定は困難である。
(三)したがって、被告の本件掲示行為は、プライバシー侵害といえる程度の実体を備えていない。
3 通信の秘密の侵害
(原告の主張)
 パソコン通信において知り得た情報を第三者に漏らすことは禁止されている(憲法二一条二項)。被告は、OLTにおける本件会話の正当な受信者ではあるが、正当に知り得た通信内容であっても、その秘密を第三者に公表する行為は禁止されている(有線電気通信法)。
 被告は、本件掲示行為により、原告の通信の秘密を侵害した。
(被告の主張)
 憲法二一条二項は、国家に対し、国民が行う通信を傍受するなどの侵害行為を禁止するものであり、私人の行為に適用がない。仮に、憲法二一条二項が私人の行為にも適用されるとしても、被告は、OLTにおける本件会話の正当な受信者であるから、受信した本件会話内容の情報をいかに使用しようとも、原告に対し、通信の秘密を侵害したことにはならない。
4 著作権の侵害
(原告の主張)
 本件会話は、四時間半に及ぶ多岐のテーマにわたる原告、被告及び第三者を交えた真剣な議論であるから、本件通信記録は著作物に該当する。被告は、本件会話に参加した原告の許諾を受けずに、本件通信記録の内容を改変して電子掲示板に公表しており、原告の著作人格権(公表権、同一性保持権)、著作財産権(複製権、有線送信権等)を侵害した。
(被告の主張)
 本件会話は、偶然居合わせた会員が、明確な目的のないまま、本件会話を公開してよいかどうかなどに関して、事実確認のための質疑等をやり取りしたにすぎず、「事実の伝達にすぎない雑報」である(著作権法一〇条二項)。したがって、本件通信記録は著作物ではない。
5 正当防衛ないし社会的相当行為
(被告の主張)
 仮に、被告の本件掲示行為が、原告に対する名誉毀損、プライバシー侵害、通信の秘密の侵害又は著作権の侵害に当たるとしても、被告は、本件掲示行為によって、PC―VAN会員全体の安全性を回復するため、パソコン通信の匿名性を悪用した原告の問題行動を他の会員に周知させ、警告したのであって、加入者による運用の自主性を確保すべきパソコン通信網において、対等の表現手段を有する他の会員の違法・不正な行為を摘示した被告の右行為は、正当防衛又は社会的に相当な行為に該当し、違法性が阻害される。
(原告の反論)
 争う。PC―VAN利用者全体の安全性の回復を図る行為は、PC―VAN運用の主催者である日本電気が行うべきものである。

第三 争点に対する判断

一 認定事実
 後記各証拠のほか、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
1 原告は、PC―VANにおいて、SEB二四三二一のIDを付与され、ハンドルネーム「PONYTAIL(ぽにぃてーる)」のほか、「百舌鳥伶人」の名を用いてOLTなどを利用し、SIG(一定のテーマに関する情報の交換・提供等に使用される特定のデータ領域)の一つである「市民の討論広場」のアシスタントの一人としても活動していた。また、原告は、AI出版が発行する「月刊パソコン通信」誌において記事を執筆するなどコンピューター関係のフリーライターとして活動していた。
2 右近は、平成四年六月一五日、PC―VANの電子掲示板の一つに、左記の内容を要旨とする掲示をした(《証拠略》)。

       記

 過日、OLTにおいて、THB五六八九八のIDを有する会員が、私に対し、私や私の兄が他のネットで使用しているハンドルネームや職業などの個人的情報について、嘲弄的態度で、卑劣な嫌がらせの発言を執拗に続けました。
3 右掲示の直後から翌一六日にかけての電子掲示板には、他のPC―VAN会員から、THB五六八九八はポニーテールである、THB五六八九八とSEB二四三二一は同一人物が使用しているとの趣旨の掲示があった(《証拠略》)。
 これに対し、原告が、SEB二四三二一のIDを用いて、電子掲示板に、私は右近が旧知の人物であるかを確認する目的で会話をしたにすぎないなどと掲示したので(《証拠略》)、同一人物がSEB二四三二一とTHB五六八九八のIDを使用していることが判明した。
4 その後、右近が、SEB二四三二一及びTHB五六八九八の各IDに対してメール受信拒否機能を行使したところ、原告は、同月一七日、右近に対し、SISIKAIのID及び「SIG司会」のハンドルネームを用いて、「受信拒否しちゃだめだよ」と題する左記の内容を要旨とする百舌鳥伶人名の電子メールを発信した(《証拠略》)。

       記

 ID(THB五六八九八)の件については公開の場でやりとりすることはできません。このID(SISIKAI)は、複数のサブオペ(SIGを自主的に運営するPC―VAN会員)の共有物なので、ここに宛てたメールは私が開封するとは限らないことを前提としてお返事下さい。とにかく、私のIDの使い方は複雑怪奇なのです。
5 右近は、「月刊パソコン通信」編集部石井希世子宛てに、百舌鳥伶人からOLTにおいて嫌がらせを受けたが、彼が使用しているID(THB五六八九八)はAI出版のものではないかという問い合わせの電子メールを発信し、同月一九日、その返答を得た上、同月二〇日、電子掲示板に、「百舌鳥伶人氏のID不正使用について」と題する左記の内容を要旨とする掲示をした(《証拠略》)。

       記

 百舌鳥伶人氏がIDを不正使用していたことについて、AI出版からのメールを引用します。
「ID番号THB五六八九八について調査したところ、間違いなくAI出版が所有するIDでした。AI出版では、かつて百舌鳥氏に原稿を依頼していた時期があり、百舌鳥氏は、そのころAI出版が貸し出したIDを無断で不正使用していたのですね。ID管理の杜撰さからこのような不祥事を招いたことを深くお詫び申し上げます。」
6 これに対し、原告は、同月二〇日、電子掲示板に、SEB二四三二一のIDを用いて、右5の掲示が事実と違うところが見られること、「月刊パソコン通信」編集部幹部及びAI出版社長と協議をしていることなどを掲示した(《証拠略》)。
 また、石井も、同日、電子掲示板に、当該IDがAI出版から百舌鳥氏に貸与されていたことは憶測にすぎず、貸与の事実はまだ確認されていないこと、しかし当該IDがAI出版の所有であり、百舌鳥氏により長期にわたり不正使用されていたことは事実であることなどを掲示した(《証拠略》)。
7 その後、電子掲示板では、前記5、6の事実関係をめぐって論争が繰り返され、会員から、原告に対し、納得のいく説明を求める声が多く揚がった。これに対し、原告は、ID使用について自分の方も多数の過失があったことは認めるが、ハッキングや賃借DIのルーズな使用などの故意性の強いものではない、右近や石井は憶測だけで主張し、物的証拠を示していないのであるから、原告がこれ以上答える必要はないと掲示し、IDの具体的な入手方法は明らかにしなかった(《証拠略》)。
8 その後、AI出版は、代表取締役中谷恒敏及び編集局長小野英章の連名により、同年七月一七日、電子掲示板に、「PC―VAN会員の皆さまへ」と題する左記の内容を要旨とする掲示をした(《証拠略》)。

       記

 この度、当社所有のID(THB五六八九八)について、管理の不注意から不祥事を引き起こし、PC―VAN会員の皆さまに多大なご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。
 THB五六八九八のIDを用いる者によってOLTにおいて嫌がらせを受けたPC―VANの一会員から、「月刊パソコン通信」編集部石井宛てに、右IDはAI出版のものではないかという問い合わせがあったため調査したところ、右IDは間違いなく当社所有のものであることが判明しました。また、OLTその他の使用状況から、右IDを使用した者は、SEB二四三二一のID及び「PONYTAIL」のハンドルネームを用いる人物であることが特定されてきました。
(PONYTAIL氏の説明)
 同氏は、六月二〇日、「月刊パソコン通信」編集部のスタッフと会い、このIDの入手経路について質疑応答し、次のように述べておられます。
 昨年秋、秋葉原で会った人物と、喫茶店でパソコン通信の話をした。できればIDを複数所有して違う人物を演じてみたいと思っていると述べると、自分が持っているIDを一万円で売ってもよいと言われた。PC―VANの「料金情報」を調べ、一万円以上になったら差額分を振り込んでくれればよいということで、一万円を支払って、そのIDを買い取った。主にOLTなどで使用し、課金が一万円以上になったことは知っていたが、売主から電話はかかってこなかった。悪いとは思ったが、そのうちかかってくるだろうと軽く考え、そのまま使い続けてきた。
 使い始めたのは、買い取ってすぐ、昨年秋(一〇〜一一月)からである。
 IDの名義が丙川松夫であることは、「料金情報」の「利用実績」を見て知っていたが、AI出版の代表取締役の名であるとは知らなかった。このIDの売主の名前は覚えていない。電話番号は、当時はメモをとっていたが、今は紛失していてわからない。
(AI出版の社内調査)
 当社では、一年ほど前までPONYTAIL氏に原稿を書いて頂いていたことがあり、このとき何らかの必要から当該IDを貸し出していた可能性があります。この貸出の有無について社内調査致しましたが、貸し出したという事実は確認できませんでした。これは、現在の当社社員で貸出を記憶する者がいないということであり、退職した社員につきましては、調査できておりません。
(本件に関するPONYTAIL氏の御意見)
 六月某日、同氏は、当社担当者と面会し、金銭による弁償を含め、自分の落度について全面的に謝罪したい、ただし自分にも釈明する機会を与えてほしい旨述べられています。
(本件についての当社の立場)
 まず、ID管理のルーズさから、PC―VANユーザーの皆さまにご迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げなくてはなりません。THB五六八九八のIDにより、嫌がらせを受けたという訴えにつきましては、これを厳粛に受け止め、幾重にもお詫び申し上げたく存じます。
 また、IDを不正使用されたという面からは、当社は被害者の立場にもなっております。
この点は、PONYTAIL氏は落度を認められ、弁済と謝罪を申し出ておられますので、今後、氏の当社の間で、納得がいく解決を図っていきたく存じます。
 以上は、本件に関し、当社の把握する範囲内でのご報告であることを、重ねて申し上げておきたく存じます。
9 さらに、SIG「市民の討論広場」のオペレーターの二名は、平成四年七月二六日から二七日にかけて、電子掲示板に、「PONYTAIL氏をアシスタント解任」と題する左記の内容を要旨とする掲示をした(《証拠略》)。

       記

 PONYTAIL氏を平成四年七月二六日付で当SIGのアシスタントから解任します。
 PONYTAIL氏は、平成三年秋ころから平成四年六月ころにわたって、AI出版所有のIDであるTHB五六八九八を盗用し、OLTなどに使用していたという重大疑惑がかかっているのに、適切な対応をせず、信用を維持することができなかったことが解任の理由です。PONYTAIL氏の、証拠がないという理由付けを最大の論拠とした応対は、証拠の残らない行為なら何をしてもよいというスタンスにすら解釈でき、適切な応対とはいえないと判断しました。
10 それから一年以上も経過した平成五年一二月に至っても、電子掲示板において、PC―VANの会員らと原告との間で、不正使用に関する掲示が続き、会員からは、「AIは事の顛末を報告しているが、あなたからは黙秘だけ。」「誤認と言い張るなら、あなたの言い分を聞かせてもらいたい。」などの要望があったが、原告は、なぜ私が命令されなければいけないのか、私に顛末を語る義務はないなどとして、これを拒否した(《証拠略》)。
11 以上のような経過をたどり、原告がAI出版の所有するTHB五六八九八のIDを使用していた事実が明らかとなった。そして、原告は過失によるものであると弁解したが、IDの入手方法について説得力のある説明を行わないため、不正使用ではないかとの疑惑が強く残されたままとなった。
12 被告は、平成五年八月にPC―VANを利用し始めるまで、原告を全く知らなかったが、同年九月ころ、AI出版が電子掲示板に掲示した前記「PC―VAN会員の皆さまへ」と題する掲示を読んだことを契機として、IDの不正使用問題に興味を持った。そして、以上の掲示を可能な限り集めて検討したところ、原告自身は具体的な事実を何一つ説明していないとの感想を持った。
 被告は、平成六年一月ころまでに二度にわたり、OLTにおいて、右疑惑に関して、原告との間で会話を交わしたが、その際、原告は、一対一でスクランブル(OLTにおいて同時刻に同じデータ領域にアクセスしている各会員が同意してその時点でアクセスしていなかった会員が同じデータ領域にアクセスできないようにする機能)をかけるなら右事件の真相を説明するなどと発言した。
 原告の右発言を受けた被告は、原告に対する疑惑は真実であると思うとともに、PC―VAN会員の公的な利害にかかわる原告の右疑惑については公開の場で議論されるべきであると考えた。
13 被告は、平成六年三月二五日、OLTにおいて、原告との間で右疑惑に関して本件会話を交わした際に、本件通信記録を電子掲示板に掲示してもよいか許可を求め、ID問題の真相を聞きたいと尋ねた。しかし、原告は、これを拒否し、ID問題はでっち上げであって、その問題は解決済みである、第三者に答える必要は一切ないなどと述べることに終始したため、被告は、「多分犯人は貴方なのでしょう。AIの言うとおり。」と発言するなどした。
 原告及び被告は、本件会話にスクランブルをかけておらず、本件会話の途中、約二〇人の会員がアクセスしたり、アクセスを終了したりした。なお、OLTにおいて、ある会員がアクセスしたときは、同時刻に同じデータ領域にアクセスしている各会員端末の画面上に、右会員のハンドルネーム及びアクセスした旨が表示され、アクセスを終了したり、異なるデータ領域にアクセスを変更する場合もその旨表示される。
14 被告は、同月三〇日、電子掲示板の一つに本件通信記録を適宜抜粋して掲示した(本件掲示)。
 なお、本件掲示は、IHSファイルという、そのままでは人間に読むことのできない記号列の形式で掲載されていたため、これを読もうとする者は、右メッセージを会員端末のディスクに一旦保存した上で所定のソフトを用いて人間の読むことのできるテキストファイルに変換する必要がある。このようなことから、本件掲示の内容をどの程度の数の会員が現実に読んだのかは、全く不明である。

二 名誉毀損について
1 以上の事実関係によれば、本件掲示中の「多分犯人は貴方なのでしょう。AIの言うとおり。」という被告の発言は、「多分」「AIの言うとおり。」などの表現などに照らすと、原告がAI出版の所有するTHB五六八九八のIDを不正使用したという事実そのものを摘示したものではなく、その点についての原告に対する疑惑が極めて濃厚であると評価し、表現したものと認めるのが相当である。
 しかし、本件掲示行為の当時において、原告が右IDを不正使用したという疑惑は、AI出版の前記「PC―VAN会員の皆さまへ」と題する掲示、右近の「百舌鳥伶人氏のID不正使用について」と題する掲示等が電子掲示板に掲示されたことに加え、原告の反論やその他のPC―VAN会員の前記のような発言が電子掲示板に多数回にわたり掲示されたことによって、不特定多数の会員が知ることのできる状態に置かれていたのであり、不特定の会員の間で極めて濃厚な疑惑として受け止められていたことは容易に推測される。しかも、本件掲示において、原告によるIDの不正使用に関する具体的事実は何ら摘示されていないこと、原告が右疑惑は事実ではないと反論していることがそのまま記載されていることなどに照らすと、本件掲示は、既にAI出版や右近等により電子掲示板に掲示された前記情報によって不特定の会員が知ることのできる右疑惑の具体的な内容に新たな事実を付加するものではなく、その掲示によって、疑惑の確度に対する従来の印象を超えて新たに原告に対する右疑惑を深めたとはいえない。
 したがって、被告の本件掲示行為によって原告の社会的評価が低下したということはできない。
2 また、仮に、被告の前記発言が、原告においてAI出版のIDを不正使用したとの事実を摘示するもので、本件掲示行為によって原告の社会的評価が低下したとみる余地があるとしても、PC―VANサービスにおいて、会員が他人のIDを使用して無責任な内容の発信を行った場合、他の会員に迷惑を掛けることとなり、右サービスの秩序ある運営を行うことが困難となることは明らかであって、前記疑惑の真偽は、多数のPC―VAN会員の公共の利害にかかわるものというべきである。そして、原告と面識もなく、数回程度OLTにおいて会話を交わしたことがあるにすぎない被告が、私怨を晴らし、あるいは個人的利益を図るなどするために本件掲示行為に及んだというような事情はうかがわれないから、被告は専ら公益を図る目的をもって本件掲示行為に及んだものと認めるのが相当である。さらに、原告が、AI出版の所有するTHB五六八九八のIDを入手し、これを用いてOLTを利用したことについてAI出版の承諾を得ていないことは明らかである上、AI出版及び右近が電子掲示板に前記認定のような掲示をしていたことや、右IDの入手経緯に関する原告の前記弁明はその内容が極めて不自然かつ不合理なものであることなどを考慮すると、これらを読んだ被告において、原告が右IDを不正使用したことが真実であると信じるにつき相当な理由があったというべきである。
 したがって、被告の本件掲示行為は、公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出たものであり、被告において、原告が右IDを不正使用したと信じるにつき相当な理由があったものと認められるから、違法性がない。
3 以上のとおり、被告の本件掲示行為は、原告の社会的評価を低下させるものではなく、原告に対する名誉毀損に当たらないとみるのが相当であるし、これが原告の名誉を毀損したものとみる余地があるとしても、その違法性は阻却されるので、原告の主張は理由がない。
三 プライバシー侵害について
1 原告がAI出版の所有するTHB五六八九八のIDを不正使用したという疑惑は、不特定多数の会員が知ることのできる状態に置かれていたことは前記認定のとおりであり、本件掲示中の右疑惑に関する部分は、既にPC―VANの会員の間に公開されていた情報であり、被告の本件掲示行為によって初めて公開された情報とは認め難い上、本件掲示のその余の部分については、法的保護に値する個人的情報が含まれているわけではない。そして、本件会話の途中で、約二〇名の不特定の会員がアクセスしたことを原告は認識することができたにもかかわらず、本件会話を終了することなく継続し、スクランブルをかけなかったことは前記認定のとおりであり、原告は、OLTにおける公開性の限度において、本件会話を不特定人に公開された場で行い、かつ、これを容認していたものというべきである。これらの事実関係に照らすと、被告が原告の明示の意思に反して本件掲示行為に及んだことは、その当否は疑問であるとしても、これが、原告のプライバシーを侵害し、不法行為を構成するとまではいえない。
2 以上のとおり、前記疑惑に関する部分は被告の本件掲示行為によって初めて公開された情報ではなく、また、原告は本件会話を不特定人に公開された場で行い、かつ、これを容認していたことに照らし、被告の本件掲示行為が原告のプライバシーを侵害したとまではいえない。
四 通信の秘密の侵害について
 被告は、本件会話の当事者であり、本件掲示行為は、通信の当事者以外の第三者が通信の秘密を犯す行為ではないから、右行為は、憲法上保障される通信の秘密とはかかわりなく、また、有線電気通信法が禁止する行為でもない。この点に関する原告の主張は失当である。
五 著作権の侵害について
 本件通信記録は、OLTを利用して交わされた会話文であって、その内容は日常の会話と特段異なると認められる点がなく、文芸、学術の範囲に属するものとは到底認められない。したがって、本件通信記録は著作物に当たらないので、被告の本件掲示行為は、何ら原告の著作権を侵害するものではない。
六 以上のとおり、被告の本件掲示行為は、原告に対する名誉毀損、プライバシー侵害、通信の秘密の侵害又は著作権の侵害の不法行為を構成するものとは認め難いので、その余の点について判断するまでもなく、原告の主張は理由がない。
第四 結論
 よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

裁判長裁判官 瀧澤泉

裁判官 綿引万里子

片山智裕

別紙《略》

 

 

 注 意

本判決文は、研究の便宜を目的として掲載しているものにすぎず、如何なる意味でも内容の正確性や真性を保証するものではありません。誤字・脱字等、不正確な部分が含まれている可能性がありますので、引用等の際は、必ず原本を参照して下さい。(岡村久道)

 

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