訳者まえがき
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 これは、「OPENSOURCES: Voices from the Open Source Revolution, Edited by Chris DiBona, Sam Ockman, and Mark Stone, O'Reilly & Associates, Inc, 1999」の日本語全訳をもとに、その訳者である倉骨彰が作成したWeb版である。原書英語版の執筆陣は、Linux OSのカーネルの開発者リーナス・トーバルズをはじめとするオープンソース運動の主要人物たちである。

 本書はいわば、「オープンソースとは何か?」というテーマについて書かれたアンソロジーである。オープンソースという言葉は、一九九八年の終わり頃から急激に聞かれるようになったと思う。この言葉が、インターネットやメディアをにぎわすようになったきっかけは、やはり「ハロウィーン文書」ではなかろうか。マイクロソフト社が社内用に極秘に作成したこの文書は、Linuxの成功でいちばん失うものが大きい同社が、オープンソース方式での開発の強みを明白に示した点において、まさに驚くべきものであった。これを読むと、司法省と独禁法で真っ向から争い、自社ソフトウェアの覇権を信じて疑わないかのように突き進むマイクロソフトが、ヘルシンキ大学の一学生が作ったフリーソフトウェアに脅威を感じていたことがよくわかる。Linuxコミュニティは、ハロウィーン文書の公開以前も、拡大傾向が続いていた。オープンソース運動も活発であったが、この事件を契機により広く認知されるようになったと言えるだろう。
 オープンソースという言葉が、アンチマイクロソフトの文脈で使われがちなのは事実である。しかし、この運動の本質はそれだけではない。オープンソースとは、言葉としては政治的、戦略的な意味合いも含んで導入された経緯はあるが、根底にはフリーソフトウェアの文化が脈々と流れている。このあたりについて、本書では、エリック・レイモンド(第二章)やリチャード・ストールマン(第五章)が詳しい記述や面白い逸話を寄せている。
 本書は、オープンソースの開発者による技術的な説明やそれぞれのソフトウェアの開発経緯なども詳述している。たとえば、4.3BSDのアーキテクトであるカーク・マクージックの担当した第三章、Apacheの開発者の一人であるブライアン・ベーヘンドルフの担当した第十一章などは、エンジニアにとって興味深い内容だろう。また、付録Aには、USENET世代やJUNET世代には懐かしい、リーナス氏とタネンバウム教授のネットディベート(comp.os.minixで行なわれた論争)も絶妙な構成で収録されている。
 本書は、オープンソースのビジネス面での有効性について知りたい人にもお奨めである。オープンソース方式の経済性、市場性、開発手法などを経営や管理の側面から分析したい人には、レッドハット社社長のボブ・ヤング(第九章)、BINDの開発者のポール・ヴィクシー(第七章)、ネットスケープ社副社長のジム・ハマーリィ(第十四章)などの章が参考になる。多様化が進み、各所で既存システムの崩壊や閉塞が起きている現在の、新しいビジネス展開へのヒントが得られるのではないだろうか。

 本書の原書は、どちらかというとエンジニア向けに編集されているが、実際の内容は、読み物の要素が強く、執筆陣のバリエーションと同じく、いろいろな人に読んでほしいものだと思う。そのため、翻訳にあたっては、いくつか苦肉の選択を迫られたことを申し上げておく。まず、人名などの固有名詞の表記は、縦組みの読みやすさを考慮して、カタカナ表記にした(その際、正確な発音を表記するのがいかに困難かを痛感させられた)。また、縦組みにした関係で、英文綴りのソフトウェア名などは可能なものを大文字表記に統一せざるを得なかった。これは、英文での表記に精通している専門家やエンジニアにとっては、とても容認できるものではないだろうが、オープンソースの素晴しさやビジネスモデルを少しでも多くの人に触れてもらいたいがための決定とご理解いただければ幸いである。



 最後に、本書の翻訳にあたって、何人かの人に感謝の辞を述べなければならないだろう。本書は、以下に示す人たちの協力と理解がなければ、成立しえなかった本である。まず、リチャード・ストールマンの章を綿密にレビューしてくれた、飯田義朗氏、川本芳久氏(大阪大学)、木下彰氏、g新部裕氏(KLIC協会)、半田剣一氏(電総研)他計七名。この方たちは忙しい中、大変貴重なコメントを寄せてくれた。翻訳原稿の全体的な技術チェックについては、鈴木重徳氏(ssuzuki@opentech.co.jp)を始めとする株式会社オープンテクノロジーズの方々のお世話になっている。本書の出版は、これらの人々の協力なしにはあり得なかったこと、そして、担当編集者の中尾真二氏の忍耐と尽力があったことを記しておきたい。

一九九九年十月 訳者